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真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~【新装版】真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~【新装版】
(2010/04/02)
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 第10話 劉氏伝 ~天下分かつ咆哮~
恋姫†無双 外史『無銘伝』第10話(4)
恋姫†無双 外史『無銘伝』第10話(3)
恋姫†無双 外史『無銘伝』第1話


この外史は北郷一刀が全力でとある少女を救う物語。
一振りの刀に導かれ、一刀は三国志世界へ帰還する――
※PC版の無印恋姫、真・恋姫を元にした二次創作です。





「どうする、呂蒙? ここを抜けるか、森に入るか……」
 砦を前に立ち止まった俺と呂蒙は、後続の戸惑う様子を横目に、判断をしなければならなかった。
「砦を突破するなら、厳顔と葉雄を呼ばなきゃならないけど」
「いえ……あの御二人は後ろ備え……今から呼びよせると時間がかかります」
「じゃあ……」
 眉を曇らせていた呂蒙が、顔を上げた。
「森に入りましょう。ただ、後方の厳顔さんたちに伝えて、森の出口が柴桑へと通って無い時にはこちらから出られるように、ここで待機を…………」
 まだ迷ってはいるようだが、ここで止まってはいられない。
 俺たちは砦をスルーし、森の中へ。
 鬱蒼とした森、道は日中にもかかわらず薄暗く、先がなかなか見えなかった。
 しかも先までの川路とは異なり、ぐねぐねと落ち着かない蛇行した道で、進めば進むほど疑心が深まっていく行路だった。
「…………っ」
 それは呂蒙も同じなようで、徐々に表情が落ち着かなくなってきていた。
 今にも泣きだしそうなほど崩れてきた頃に、俺たちはそれと遭遇した。

「――――ただの張りぼての砦なのに、私の旗を揚げておくだけで城塞と化す。人の空想の中に城を築く…………空城の計とでも名付けようか」

 道の向こうから、短髪赤毛の将が歩いてきた。
 彼女は道の真ん中で立ちはだかり、
「ちなみにこっちは河辺への道。歩いて長江を渡りたくないなら、不正解の道だ」
「あなた……文聘……将軍ですか」
「如何にも」
 それを証明するように、彼女の背後には、さきほど見たばかりの「文」の旗があった。
「お初に御目にかかる。江夏郡の軍事を預かっている、守備に定評のある文聘だ。字は仲業」
「なぜ、ここに…………」
「攻撃を受けていると聞いて、急いで小舟で長江を下ったのだよ。敵の将の顔を見ずに逃がしては、痛恨の極みだからな」
 バサッと羽織っていたマントを開き、拳を握って示す。
「長沙での戦い、見事だった。対手として敬意を表する。だが、まともに拳を交える機会が無かったのが残念だった」
 そして構える。
 楽進にも近いその構えは、赤熱の気を放って、迫力を増していた。
「ぐっ……しゅ、守備の将じゃなかったの?」
「別に攻撃ができないわけではない。嗜む程度にできるぞ」
「…………よくわかんない人だな」
 興奮しているのか、饒舌な少女を前にして、ちょっと困惑した。
 凪に似てると思ったんだけど、そうでもないみたい。
「すまん。少々、猛っている。部下からの報告で、私の城壁を破った者がいると聞いてな」
「…………それ、俺でも無ければこっちの呂蒙でも無いぞ」
「え?」
 文聘は目を丸くした。
「そ、そうか……そういう事もあるか……バシッと決めたつもりだったんだが……」
「…………」
 本気で困っている様子。
 駄目だこの子……。
「提案なんだけど」
 と、手を上げる。
「な、なんだ?」
「君の城壁を破ったのは俺の仲間なんだ。会わせてあげたいけど、居るのはこの隊列の一番後ろ」
「そうか……」
 肩を落とす文聘。
「で、会いたいならさ、俺たちはあの砦まで戻る。列の真ん中の方から、あそこの砦を通って列が前に出れば、この先頭と仲間の居る最後尾が合流できる」
「…………」
「ほ、北郷さん……それ見逃せって事じゃ……」
 心配げな顔で亞莎が俺を見る。
「そうだけど、でも、そっちの小勢で俺たちの隊列の一番後ろまでいけると思う? 大変じゃ無いかな」
「…………そだな」
 素直に文聘は頷いた。
「だから、お互いに見逃し合おう。どうかな?」
「う~む」
 文聘は気を消して唸った。
「…………仕方ないか。元々、本格的に戦う気は無かったしな……ちょっと拳を合わせてみるぐらいのつもりだったから」
「じゃ、行こうか、呂蒙」
「は、はい!」
「列の真ん中の方に伝令を。砦を突破して、列を前に出すように。時間がかかるだろうし、速攻でね」
「わかりました! 伝令さん! そのように列中央にいる将に伝えて下さい!」
 列中央にいる将。それは、孫権たちだ。
 伝令が飛んでいってしばらく待つと、列が動き始めた。
 俺たちは横に並んで列の最後尾を進んだ。
「その、気っていうのかな、すごいね。迫力があって」
 俺は隣を行く少女に話しかけてみた。
「む、そうか?」
「うん。一朝一夕につかえるものじゃないってわかるよ」
「いやいや……」
 と照れる。
「少なくとも俺にはできないし、憧れるよ」
 波○拳とか、かめ○め波的な。一度はやるよな。
「男にそういわれると……複雑な気分だ。元は、男に負けないよう鍛えた拳だから」
 色々事情があるようだ。
「へ~……でも、俺の知っている気の使い手も女の子だけどね」
 というか、この世界強いのは大体女の子な気がする。ごくごく一部除く。
「なんと? 私以外にも気を使う者がいたのか」
「うん。こう、気を弾にして、ドカーン、と」
「ほう……放出系か」
 感心して、文聘は自分を指さし、
「ちなみに私は強化系だ」
「…………少年漫画?」
 どちらかというと楽進も強化系な気がするけど。
 道すがら、俺と文聘は、気の使い方という、少年心をくすぐる会話を交わし続けた。
「だが……気の操り方がうまくなればなるほど、失うものも多くなった気がするがな」
「ん? 失うもの……?」
 と、俺は文聘の体を上から下まで眺める。
「な、なんだ? 何を見ている?」
「え? いや、傷一つ無さそうだけど?」
「…………待て、どういうことだ?」
「……? 体が傷だらけになったとかじゃないの?」
 楽進がそうだったし。
「ち、違う! 私は無疵だ! 傷物にはされてないぞ……!」
 文聘はむくれた。
 そうか、守備の名将だもんな。
 でも傷物って。別に凪は傷物じゃないぞ。体に傷痕はあるけど。
 そういう意味で傷をつけたのは俺……って、この世界ではまだか。
「あ。列が途切れた。砦の前にでたな」
 ついに元の道に戻ってきた。
 そして少し待つと、
「お、北郷」
「お館様と呂蒙殿、いかがされましたか……その将は?」
 華雄と厳顔が合流した。
「この人はね……」
 と、二人に耳打ちする。
「ほ~」
 と桔梗。
「なんだ、どういうことだ?」
 あんまり理解していないような華雄。
「というわけで、この人は、二人に会いたかったそうだ」
 俺は文聘を手で招き、
「こちら劉表軍の将、文聘さん」
 で、反転し二人の方を示し、
「この二人が、俺の仲間の、葉雄と、厳顔」
「どうも」
「……ど、どうも?」
 三人は握手を交わし、そして、
「じゃ! そういうことで!!」
 俺たちは逃げ出した。
 俺と厳顔、呂蒙の三人は馬で。華雄は俺に抱えられて。
「お……おお?」
 文聘はそれを看過しかけて、
「ま、待て!! 戦わせろ!!」
 遅れて追いかけてきた。
「会わせるとは言ったけど戦わせるとは言ってないですー!」
「せめて一回やらせろー!」
「その誘いは魅力的だけど無理ー!」
 こんな時に激堅な将を相手にしていたら、陽が暮れてしまう。
「くっ、そ……止まれ……!」
 馬無しで何とか追いすがっていた文聘が、マントを脱ぎ、拳を振り上げる。
「気を半分使うが……っ、仕方ない!」
 そして、大地に向けてその拳を振り下ろす。
 ガッ……!
 大地が文聘の髪の色と同じ赤銅色に染まり、地響きとともに、俺と華雄を乗せた的盧が宙に浮いた。
「どわっ!?」
「うおっ!?」
 浮いたのは一瞬、高さも精々膝の高さ程度だったが、体勢を崩して、華雄が落ちかける。
 そこに、
「届けっ!!」
 文聘が、脱いだマントに気を込め、伸ばした。
「お、おわっ、足に!?」
 布が華雄の足にからみつき、ギュッとしまって固まった。
「華雄!?」
 落下しそうな華雄を抱えていた俺も引っ張られる。
「こ、このっ! 離せっ!」
 華雄はジタバタと足掻くが、マントは鉄製の枷のように、がっちり華雄の足首にかみついている。
 華雄は的盧の鞍にしがみつき、落馬だけは防いでいる状態だ。
 だが、このままではジリ貧……。
「華雄っ……! 一度だけ全力で、足を引いて!!」
「わ、わかった!」
 理由を聞く余裕も無く、華雄は、
「でりゃあああああああああ!!」
 と、足をひいて、マントの先の文聘ごと引き寄せる。
 俺は無銘刀を抜き、的盧の背から飛んだ。
「たあああああああ!!」
 狙いは文聘の手首あたり。
 剣先をよけて文聘が手を離すのを期待したのだが、文聘は手をマントの端にまきつけ、引っ張りかえした。
 無銘刀の剣先は、文聘の気で硬化したマントに向かった。
 ――弾かれる!
 そう思ったがもう刀は止まらない。
「……!?」
 想定した抵抗は無く、紙を切るような手応えだけがあった。
「え……!?」
「な、なん、だと……!?
 一刀両断。
 文聘と華雄を繋いでいたマントは、無銘刀によって完全に断ち切られていた。
「北郷っ!」
 呆然とする俺に、足が自由になった華雄が大声で呼ぶ。
 俺は気を取り直し、的盧に再度乗り、その場を駆け去った。
 左手で手綱を操り、右手に持った無銘刀を見る。
 無銘刀はどこか自慢げに輝いていた。


「…………」
 文聘は地面に膝を突き、しばらくそのままでいた。
「しょ、将軍?」
 付いてきていた部下が声をかけた。
「……はっ」
 赤髪の少女は正気を取り戻した。
「また逃げられた……」
「どうされます?」
「今からでは間に合うまい。馬も無い」
 立ち上がり、土埃を払う。
「しかし…………気の練り込みが少なかったとは言え、あんな簡単に斬り落とされるとは……」
 少女は、手に持っていたマントの切れ端を強く握る。
「あの男…………仲間は、北郷と呼んでいたようだが……北郷?」
 孫策軍に加担しているらしい軍の名前と同じだ。
「…………む?」
 もしかして、本人?
「だとしたら……やるな、北郷」
 少女はさっきまで話していた青年の事を思い出し、胸を熱くした。
「面白くなってきた……。今度は、あの男が攻め手として来襲してくる城を守ってみたいが……」
 ポイっ、とマントの切れ端を捨て、踵を返す。
「今は、戻らねば。孫呉が夏口を攻撃しているらしいからな」
 と、北郷達が去って行った方向とは逆方向に歩き出す。
「んん?」
 が、すぐに立ち止まり。
「さっき北郷の隣りにいた将は呂蒙……孫呉の将……で、あの軍集団は少なくとも一万近くいた」
 首を傾げる。
「なら、夏口を攻撃中の孫策軍とは?」
 疑問符を浮かべたまま、文聘は任地へと戻っていった。



「追ってこないな……」
 何度か振り向いてみたが、文聘の姿は無かった。
「馬も無いようでしたし、追いすがる手段がありますまい」
 付いてこないので迎えに来てくれた厳顔が言う。
「そっか。じゃあ、あとは柴桑まで突っ走るだけだね」
「うまくいきましたな、孫権殿の救出」
 今までで一番の笑顔で、桔梗は喜ぶ。
「いやはや。本当にできるとは……いや、まだ終わってはおりませぬが」
 苦労をかけた桔梗や華雄、さらにいえば朱里とも抱き合いたいところだが、まだそういうわけにはいかない。
「ああ。あと少しだ。確か、柴桑までは……あと一時間とちょっと? かな」
「そこから船を手配するとして、約2時間というところですか」
「うん」
 今度は冥琳の援護にいかないとな。
 ともすれば達成感で鈍くなりそうな足に活を入れ……って言っても的盧を激励して、速度を落とさぬように頑張ってもらう。
 あと少し……そう、あと少しなんだ。
 ゴールが見えてきた長距離。
 そのラストスパート。
 30分ほど、的盧を急かせ続けたところで、
「わっ!」
 的盧が足を止めた。
「なんだ? 疲れたのか?」
 背中に乗っている華雄が訊く。
「う、うーん、長い事走らせてたからな……」
 思えば、休まず動き続けたという意味で、一番頑張ってたのはこいつだもんな。
 俺たちは的盧を降りた。
「でも、疲れたという割に、涼しい顔しているような……おや?」
 その顔の先には長江……そこに浮かぶ船があった。
「船……? 的盧?」
 的盧は鼻先でそれを指し示し、そして、独り道を駆けていった。
「え? ちょ、ちょっと!」
「元気では無いかっ!?」
 俺たちを置いて、的盧は孫呉の軍集団を追っていった。
「儂の馬を使いますか?」
 と、厳顔が提案するが、
「ん……いや、待て。あの船の旗印っ!」
 華雄の叫びに、俺たちは長江の先からこっちに向かってくる船を見た。
 船には、孫呉の旗印が掲げられていた。
「北郷さ~ん!」
 口元に手を添え、俺を呼ぶ船頭の子。
 明命が舳先に立ち、こっちに手を振っていた。
「どうしたのその船!?」
 まだ先頭が柴桑に着くには早いと思うのだが……。
「魯粛さんが! 一人で柴桑に援軍を頼みに行ってて……! 今、もう少し先のところに、孫呉の水軍が揃っています!」
「魯粛が……!」
「水軍は亞莎が指揮を引き継ぎました! いつでも作戦開始可能だそうです!!」
「わかった!! じゃあ、俺たちも……!」
「ええ!? 北郷さんは船団の後ろの方に! 蓮華様たちがそこにいますから!!
「うーん……やっぱり俺も行く!! いいよね? ってことでこっちに寄せて寄せて!」
「え、ええええ? わ、わっかりましたー!」
 有無を言わさぬ形で押し切る。
 俺がやるべき事、したい事、できる事が一致してきている気がした。
 だから、俺は行く。
 彼女の元へ。



 江夏郡、夏口。
 水上交通・輸送の要衝。水軍の一大拠点。
 そこに周瑜はいた。
「うまく釣れたようだな……」
 周瑜は先日夏口に潜入し、あらかじめ仕入れていた情報を元に、工作を行った。
 まずは、劉表の敵対分子との接触。
 劉表は荊州に跋扈する賊をことごとく平らげてから孫呉を攻撃したと思っているのだろうが、実際は違う。
 表向きはともかく、内心、まだ劉表という人間をトップとして認めていない者は多くいるのだ。
 周瑜は、そういう人間に情報を流した。
 孫呉が襄陽を陥落させた。長沙でも反乱が起きつつある。
 そういう情報だ。
 どちらも完全な間違いでは無い。
 襄陽は今にも陥落するかどうかの風前の灯。そして長沙には、周瑜が万が一の保険として工作しておいた反乱分子が数人、潜んでいる。名は張羨。劉表に気に入られず、造反の機を窺っている人物であり、それなりの名望がある。
 それら間違ってはいない情報を出して、賊を買収し、孫呉に寝返らせた。
 賊軍と周瑜は夏口近くの小都市を攻撃し、これを攻略。
 加えて、救援に来た劉表軍の将、鄧龍を破り、この軍を吸収した。
 兵数は三千にも届かなかったが、江夏郡の注目を集中させることに成功した。
「…………」
 だが、周瑜の顔は晴れなかった。
 彼女の視線の先には……漢水の先にある、襄陽があった。
「雪蓮……」
 今自分の手元には少ないながら、軍勢がある。
 振るえる剣がある。
 周瑜は迷う。
 反乱を起こし、敵の目は眩ませた。蓮華様はおそらく脱出に成功するだろう。
 だが、蓮華様の生死が問題なのでは無い。
 軍師としての私が考えなければならないのは、孫呉の存続、繁栄だ。
 仮に私がここで孫策との合流を図り、成功したとして……。
 孫権様の元に残る将は、甘寧、周泰、呂蒙の三人。
 駄目だ。武に偏りすぎている。
 呂蒙がギリギリ軍師寄りだが、まだ成長の途上。
「…………雪蓮の元には穏がいる。祭殿が抑えにもなろう。将の駒数が足りないが……それは私が雪蓮の元に行っても同じだ」
 最終的に目指すところは、雪蓮と蓮華様の合流だが、すぐには無理だろう。
 荊州を経由しての合流は不可能だし、豫州、徐州も形勢が不安定だ。
 劉備や曹操に協力してもらえれば……とも思うが、それも良策とは思えない。
 これ以上頼りにしては、孫呉は両勢力に強気に出られないだろう。
 今でさえ、北郷には負い目があるというのに……。
「というか、劉備は北郷本人がこんなところまで来ているのを承知しているのか?」
 どうにも……北郷の独断専行の匂いがするのだが。
 それは置いておくとして。
「やはり……私は、蓮華様のお側にいるべきなのだろうな……?」
 と、誰かに問いかける。
 答えはもちろん無い。
 無いけれど……。
 周瑜は北郷から貰った、雪蓮のお守りを握りしめる。
「……駄目ね。雪蓮の考えなら読めるはずなのに、今は、私の願望が邪魔してしまう」
 私は孫策を、伯符を天下人にする。
 その夢が、冷静な思考を遮断してしまう。
 ならば、と御守りを手に、頬に当てる。
 そこから、雪蓮を感じられる気がして。
 そして――

 私は、雪蓮の髪、お守りを通して、彼女の声を聞いた気がした。

 髪を切り、覚悟を決めた彼女の、咆哮を。
「…………」
「周瑜様っ!」
 立ち尽くす周瑜に、伝令が飛んできた。
「江夏守備の水軍一万が東より迫ってきております!!」
 周瑜がためらっている間に、敵が動いてきていた。
「……兵を退かせろ。生き残りたいならバラバラに逃げよ」
「ははっ!」
「私は……東へ向かう。死にたくなければ付いてくるな」
 そう言って彼女はわずか一日で得た軍勢をさっさと捨てて、夏口を離れた。
 彼女と行動を共にしたのは、元々孫策軍に所属していた部下のみだった。
「堂々と抜けろ。顔を上げて、真っ直ぐ歩け」
 周瑜は凜とした顔と足取りで、劉表軍がぞろぞろ行軍している脇を抜けた。
 そして咎められること無く、列の最後尾を通り過ぎる。
「さ、さすがです……」
 緊張しきった部下が言う。
「……死んだ気分になっただろう? 次からは、矢の雨にも構わず行くぞ」
 周瑜は顔に汗一粒も浮かべず、涼しげな顔のままだった。
「周瑜様! 劉表軍は、賊たちを追うようです!」
「……悪いが、囮になってもらおう」
 周瑜たちは夏口を出て東へ、北へ回った。
「孫権様達を追わないのですか?」
「間に合わん。同じ道は通れん。長江の対岸に出るぞ」
 漁民の船を買い入れて使い、長江を渡る。長江の対岸側は一応揚州であるが、さすがに江夏周辺は劉表軍の勢力下である。
「こちら側の軍勢も召集されているのか……」
 長江対岸の道にも、劉表軍の行列があった。
 そこには、黄祖と劉磐の姿もあった。
「まさか文聘さんのところに送られるとはなー……」
 黄祖はトホホ、とため息をついた。
「鍛え上げてもらいなさい、って言ってましたね」
 劉磐が黄忠の物まねをして言う。
「あの笑顔、恐かったなぁ」
「いや~、どっちのおばさんも似たようなものですねぇ……おや?」
 劉磐は、周瑜に目を止める。
「…………」
 周瑜は見られている事に気づいているが、気づかないフリをして通り過ぎた。
「どうした?」
「いえ…………なにか、匂いません?」
「なんだそりゃ……あれか?」
 黄祖は気づかない。
 黄祖も劉磐も、周瑜に面識は無い。
 だが、
「ふーん、まぁ、怪しいと言えば……」
 彼女らの嗅覚は反応した。
「おい! 止まれ!! そこの連中!!」
 黄祖は叫ぶ。
「走れ!!」
 周瑜は馬に鞭を入れ、駆け出した。
「止まらないなら……!」
「弓隊!」
 黄祖の小隊が弓を構える。
「撃てッ!」
 矢が雨霰となって周瑜たちに襲いかかる。
 それらは周瑜の部下を次々に打ち落としたが、
「はっ!」
 周瑜だけは、馬上鞭、白虎九尾を振り馬を急加速、弓を回避した。
 スピードに乗り、そのまま逃げ切れるかと思われたが……。
 黄祖は、弓の一斉射撃に合わせずに弦を引絞り続け、周瑜に狙いを定めていた。
「喰らいつけ!」
 黄祖が得意とする変わり矢の一種、矢筈に紐を結わえた矢を、周瑜の背中めがけて放つ。
「ちぃっ!」
 背後に迫る殺意に対し、周瑜は振り返りざま、鞭で矢を払った。
 だが、鞭はむなしく空を切り、紐付きの矢は周瑜の腰帯に刺さり、噛みついた。
「ぐっ!?」
 見た目にはただの紐だが、元は弓の弦。束ねられた強靱な繊維は、周瑜を馬から宙へと引っ張り上げた。
 周瑜は地面に叩きつけられながらも、短刀で矢柄を斬り、束縛を解き、立ち上がった。
「孫呉の人間だな……?」
 劉磐が回り込んで周瑜を囲む。
「さあな……、劉表軍の人間かもしれんぞ」
「服や装備は確かにそうだが……」
 潜入の基本として、孫呉とすぐにわかるような格好はしていない。
「行動が不審だからな。この周囲の軍で東に用のある奴は限られている」
「抵抗せずに付いてくるなら尋問だけですませるが……抵抗するようなら」
 と、警告する劉磐の語尾にかぶせて、
「はあああっ!」
 周瑜は短刀を投げつけた。
 同時に背後に飛び退り、退路を塞いでいた兵の顔面を鞭で打つ。
「ぎゃっ!?」
 ひるんだ隙にすり抜けて、その敵兵を黄祖の射線上に置く方向で逃げる。
「このやろっ!」
 黄祖は味方の背中越しに曲射した。
「むっ……! やるなっ!」
 周瑜の位置が正確につかめているわけではないのに、うまく周瑜を追尾してくる矢を、周瑜は半歩横にステップしてよける。
「くううっ、やっぱり私の矢は大事な時にまともに当たらない……」
 黄祖は落ち込んだ。
「ここで自信失わないで下さいよお頭……!」
 焦る劉磐。
「分かってるよ……弓は追い詰めるだけに使え! 騎兵! 逃げ道に先回りしろ!」
 逃げる周瑜もまだ射程範囲にある。
「くっ、面倒な!」
 矢を避ける労力はいらなくなったが、かわりに進路の選択肢が限定されていく。
 そして、周瑜はついに崖に追い込まれた。
「このっ!」
 脱出を賭けて足掻く。
「がっ!?」
 だが、数人打ち倒したところで、劉磐の錐に肩を強打される。
「ぐっ……つぅ……!」
 折れてはいないが、激痛で腕が動かない。
 また崖っぷちにまで追いやられ、追い詰められる。
 数本の矢が周瑜の四肢を貫く。
 ほとんどが手や足だったが、最早前進は不可能だった。
「最後に――」
 黄祖が哀れみをかける。
「何か言い残したことはあるか? それを聞いて、酒のツマミにしてやる」
「はっ」
 周瑜は鼻で笑った。
「敵に残す言葉など無いさ……そして、味方に残す言葉は多すぎる」
 おかしな事だ、と周瑜は思った。
 本当に大事な人にかける言葉は、ほんの少しで済むのに。
「なら」
 黄祖が矢をつがえる。
「あの世ってやつで、その連中と愚痴として言い合え……!」
 周瑜の心臓めがけて矢が放たれる。
 刹那。
 全ての音が聞こえなくなり、周瑜は心臓の鼓動さえ止まったように感じた。
 終わる――
 天を仰いでも何の色も無く、ただ、遠雷のような白い閃光が、天へと昇っていった。
「雪蓮……?」
 もう終りの時になって、心が震えた。
 走馬灯じゃない。
 叫び。
 彼女の叫びだ。
 別れ、分かたれ、同じ空の下違う地で叫ぶ彼女の声。
 周瑜は最後の力で、飛んだ。
 後ろ。崖の下へと。
 矢は胸では無く鎖骨に突き刺さった。
 不思議と痛みは感じなかった。
 ただ悲しみだけを抱いて、周瑜は長江へと吸いこまれていった。



「ふうううううううううううっ!!」
 斬撃。
「はああああああああっ!!」
 それを受ける斬撃。
 剣閃の交差。
 激しい激突は二人に衝撃を与えるが、より強烈なプレッシャーを受けたのは劉表だった。
「ぐっ、ううっ!」
 歯を食いしばり、その隙間から息をこぼす劉表。
「ぬるいっ……!!」
 無造作に近づき、斬撃を続ける孫策。
「くあっ……!」
 かろうじて剣の峰で体への直撃を防ぐが、剣を取り落としてしまう。
「もらった!!」
 斬殺を確信した三撃目。
 ガギン!
「!?」
 劉表は、とどめの斬り下ろしを左肘で受けていた。
 正確に言えば肘に仕込んだ隠し剣で。
「失礼っ」
 さらに逆の手の手首に仕込んだ剣で斬り払う。
「なっ!?」
 孫策は上体を反らして、ギリギリでよけた。
 それにあわせて劉表はバックステップし、距離をとった。
「紹介していなかったですね」
 くるっと回転して、出した剣を服の内に仕舞う劉表。
 優雅な所作。
「私の武器は八種の隠し武器。名付けて、八瞬」
 彼女は恐いぐらい美しい長い銀髪を手の甲で掻き上げ、その髪から、煌めく同色の簪……棒手裏剣をとりだしてそのまま自然な動作で投擲した。
「くっ……!? つっっ、卑怯臭いっ」
 二の腕に掠り、孫策は眉をしかめて罵った。
「勝った後に批難しなさい。私は詭道もためらいませんよ」
「綺麗な顔して言うわね……っ!」
 孫策は怒りと共に再度接近した。
 孫策の攻撃は単純だ。接近とともに攻撃の予備動作、相手の反応を見つつ攻撃。
 だが、単純であるだけに、対応力の無い敵だと、数撃で押し切られる。
 とはいえ――1度目の斬撃ぐらいなら普通に受けるか避けるかできるのだが――
「きゃっ……!」
 劉表は孫策の攻撃を受け、妙に高い声を上げて後ろに倒れ――
「えいっ」
 靴に仕込んだバネ発射式の矢を放つ。
 足元から放たれた奇襲の矢に、孫策は反応しきれなかった。
「にゃっ……!?」
 ビックリ兵器に孫策の口から変な声がでた。
 太もも近くを抉られ、体勢が傾ぐ孫策。
 その間に劉表はふわりと羽のように体を起こし、右手首隠し剣で孫策の首を狙う。
「ふざけたことを!! この女狐!!」
 孫策は憤慨して劉表の体を突き飛ばし、剣を避ける。
「コーン、コーン」
 また距離をとった劉表が口に手をそえて、狐の鳴き声。
 そして手招く。
「おいで。雌虎。まさか狐に喰われはしないでしょう?」
 その挑発に、逆に孫策は頭を冷やしてニュートラルに戻し、大きく息を吐いた。
 矢を受けた足は問題ない。痛みはあるが耐えられる。
 剣の振りは大ざっぱになっていたか。一撃で決めることを考えすぎている。力を抜け。
 速さは武器だが、決め手では無い。
 拙速は目的を達するためには許容される。けれど目的が達せられないなら、拙速はただの猪馬鹿だ。
 孫策は剣をゆっくりと構え直す。
「…………あら」
 孫策の雰囲気が変わった事を感じとり、劉表はさっきまで見せていた稚気を消した。
 彼女もまた落ちていた杖……仕込み剣を拾い、出した隠し剣を仕舞った。
 そして戦場とは思えない滑らかな手つきで懐から扇を出し、開く。
 ふわり、ふわりと口元、手元を隠しながら、接近する。
 呼吸を、手口を読まれないように。
「ひゅっ…………!」
 ここで初めて劉表が先制攻撃を仕掛けた。
 上段に構えて、構えて打ち下ろすと見せかけて肘を下ろし、横からの斬撃。
 これを孫策がお腹の皮一枚を斬らせて避けると、劉表はその場で反転――回転をつけて足を伸ばした。
 回し蹴り――!
 予想外の攻撃に孫策の反応が遅れる。それでも肩で受けてダメージを流すが――
 ザシュゥッ……!!
「ぐあっ!?」
 かかとから展開された鎌状の刃によって、肩の肉を斬られた。
 蹴りの後からくる攻撃に、孫策はひるんだ。
 その隙に、劉表は扇を口元から離し、
「フッ……!!」
 口に入れた含み針を吹き出した。
「がっ!?」
 目を狙った針は、体勢を低めた孫策の頭をかすめて飛んでいった。
 血が頭部から流れ落ちるが、致命的な部分に影響は無い。
「これで…………あと一つね」
 目に流れ込む血を手で払い、傷だらけの体を引きずり、それでも笑う孫策。
 仕込み杖。隠し剣左肘。隠し剣右手首。かんざし棒手裏剣。靴仕込みバネ矢。含み針。かかと鎌。
 これで七種。
「ちゃんと数えてるとは、冷静ですね。でも、ボロボロですよ。痛々しい」
「うっさいわね。最後に立ってればいいのよ」
「でも、それでここから帰れるんですか?」
「…………」
 孫策は沈黙した。
 そして、流れた血が目に入り、真っ赤に染まった涙を流した。
「私は……!」
 剣を振り上げる。
「これで――!」
 斬り下ろす。
 その単純きわまりない攻撃。
 だが、劉表はそこで決心した。
 ――これが多分、彼女の決死の一撃。
 だからこれを折れば、勝負は決まる。
 劉表は右手の剣を捨てた。
「…………!」
 真上から剣が来るわけでは無い。微調整しなければならない。合わせる。ほんの一瞬で。
 右手を、手のひらをあげる。
 そして受ける。
 手のひらで孫策の剣撃を――!
 ザクウウッッ!!!
 手のひらを斬り、さらにそこから手首、肘まで一気に剣が下ろされる。
 右手一本を持って行く一撃。
 今まで被弾がほぼ無かった劉表への大ダメージ。
 だが――
「な……に?」
 孫策の目が驚きと、そして恐怖に、見開かれる。
 手応えが無かった。
 正確に言えば、肉の感触が無かった。血も流れていなかった。
 そして、肘で完全に剣が止まってしまった。
 すぐに剣を抜こうとするが――
「逃がしません」
 ガシッと自分の右手首を左手で掴んだ。
 右手に刺さったまま抜けなくなった剣。
「義手なんですよ。この手」
 微笑む劉表。
「こんな事になったの、誰のおかげだと思います?」
 義手の中、鋼鉄製の二本の骨で、孫策の剣が挟まれる。
「…………まぁ、そんなこと、気にしなくて良いですけど」
 劉表が義手を回し、圧力を掛ける。
 パキ……。
 と何かが折れはじめる音がした。

 バリィイイイイイン!
 
 地面に剣が落ちた。
 孫策の剣。
 その残骸が。
 剣は根元から折れて、無残に、柄だけが残った。

「あなたはここで死ぬのですから。そうでしょう?」
 冷たい宣告が、孫策に降り注いだ。



「ねぇ、冥琳……私に、天下が取れると思う?」
「なんだ、藪から棒に。孫呉を天下へと知らしめる、そのために戦っているんじゃ無かったのか?」
「…………そのつもりで、袁術の無理難題にも従って、母様の旧領を維持してきたわ。反乱も、黄巾党の賊も、蹴散らしてね」
「そうだな。順調では無いか? 全て失う寸前から、ここまで立て直したのだ」
「…………曹操相手にも、戦えるかしら」
「ふむ? そうか。黄巾の乱の時にいた…………確かに、他の連中と比べて頭一つ、二つ
抜き出ている感があったな。本人の資質も、配下の軍師も、将も」
「ちょっとだけ…………勝てるのかわかんなくなったわ」
「はっ、それは弱気なことだな」
「何よ。冥琳なら勝算があるっていうの?」
「違う。私一人なら、曹操には勝てないだろう。今は当然、将来は余計にな。だが」
「だが?」
「二人で天下を取るのだろう?」
「…………」
 冥琳は、雪蓮の手を取った。
「天下は手の中にある。二人の手の中にな。それでも不安か? なんなら、両手を繋いでみるか?」
「……ぷっ。それじゃ、お互いしか見えないじゃない」
 孫策は笑った。
「そうね。母様の呉を元に、ふたりで天下を取って、そしてそれを蓮華たちに繋ぐ。それが私の夢だもの」
 孫策と周瑜は、手を繋いだまま横に並んだ。
 目の前には呉に流れる大いなる河、天下を分かつ長江がある。
「ふたりで、天下を」
 その時、二人の思い描く天下は一つになって繋いだ手の中にあった。



 長江の流れに逆らい、進む船一隻。
 旗印は劉。しかし、色は劉備軍の緑では無い。
 火の徳を示す赤。孫策軍の旗に近い色だ。
 劉表軍軍旗。
 それを掲げた船が柴桑方面から江夏を目指して突き進む。
「……気づかれてませんね」
 船縁から顔をちょこっとだけ出して、黒髪の少女が言う。
「そのほうが怪しまれるんじゃ無い?」
 劉表軍軍服を着用した青年が苦笑する。
「で、でも、ちらほら劉表軍の、哨戒用の小舟が……」
「大丈夫だって。朱里が言うには、一度だけなら見逃してくれるって話だから」
「は、はい……北郷さんは結構大胆なんですね」
「なるようになるさっ、ってことで。いざとなったら泳いで逃げよう」
「得意なんですか? 泳ぐの」
「普通かな?」
「…………だ、駄目じゃ無いですかっ」
「しかも服着てるしねぇ。いっそ今から脱いでおくか」
「あわわわわっ、こ、こここでですか?」
「何言ってるかわかんないよ?」
「い、いえ! 北郷さんが良いなら、私は……! お、お気になさらず!!!」
 どうぞどうぞ、と薄紅色に染まった顔をそらして勧める少女。
「冗談だって。可愛いなぁ、周泰は」
 と、頭をなで回す。
「あうう」
 周泰と呼ばれた少女は益々顔を赤くする。
「って言ってる間に、文聘将軍の城通り過ぎたよ」
「あ……」
 明命は顔を上げ、左右を見た。
「ほんとだ……一番危険そうなところ、あっさり通過しましたね」
「まさか戻ってくるとは思わないでしょ。あっちもさ」
 笑顔を見せる。
 明命は、自分の心臓が跳ねるのを感じた。
 もしかして、緊張をほぐしてくれたんだろうか?
「ここから夏口までなんとか接近して……それまでに周瑜の居所がわかればいいんだけど。目立つところで上陸はできないからな」
「陸側は見逃してくれないんですね」
「管轄が違うんじゃない? 事情はよく知らないけど」
「なるほど…………あ、船が途切れましたね。ちょっと探ってきます」
 前後に船が見えなくなると、周泰は崖上に上り、数分で帰ってくるというのを繰り返した。
「ここ近辺の軍は夏口へ向かっているようです。ただ、私たちが脱出した長江南岸側は、若干警戒が厳しいかと」
「そうか…………周瑜なら、それを見切って、北側を通るかな」
「可能性は高いですね。夏口への行き道は、北側を重点的に監視しましょうか」
「そだね。念のため船尾側の華雄達には南側を見張っててもらおう」
 会話には参加してないが、華雄と厳顔も乗っている。
「夜になる前に、居場所が分かれば良いんだけど……」
 日はまだ高い。だが、この広い長江と大地。世界に対し時間が短すぎる。
 船は夏口への往路、その中間地まで来た。
 
「!?」

 最初に気づいたのは、俺だった。
 周泰の視力、察知能力から考えれば、奇跡に近いことだと思う。
「明命!!」
「はい!?」
 突然真名を呼ばれ、肩をつかまれた少女は飛び上がった。
「あそこ!!」
 指さした方向に人影。
「あっ!?」
 周泰が体を強ばらせる。
 崖際には周瑜と思しき女性。そしてそれを囲み、追い詰める兵の姿。
 まだマッチ棒程度の大きさでしかないが、危機的な状況であることがはっきりとわかった。
「水夫さん!! 全速前進!!」
「桔梗! 豪天砲の準備を!!」
 船が加速する。
 水上に慣れていない桔梗は振り落とされないように何かに捕まりながら船首に移った。
 俺も体勢を低くして、揺れに耐える。
 唯一周泰だけが、舷に足をかけて、周瑜のいる崖を睨んでいた。
「っ! 厳顔さん! そろそろ届きますか!?」
 明命が顔を動かさずに問う。
「いつでもいけるぞ!」
 脇構えの豪天砲を、巌壁に照準。
「お願いします!」
 周泰の叫びに、
「よしッ!」
 桔梗が応じ、
 ズガアアアアアアアンンッッ……!!
 豪天砲が唸りを上げる。
 杭が砲口から発射され、崖へと飛翔する。
 崖の水際、水面から数十センチほどのところに突き刺さると、周泰はそこに向かって飛んだ。
 周泰は打ち込まれたパイルに乗り、さらに飛ぶ。
「おおおっ!」
 狙い誤たず、桔梗は二射目を明命の足元に叩き込んだ。
「っ!」
「ああっ!?」
 その時、周瑜が崖から落ちた。
「冥琳ッ!!」
「冥琳さまあああああっっ!!」
 明命は手を伸ばすが、まだ距離が足りない。
「……当たれぇ!!」
 咄嗟の判断で桔梗は豪天砲を冥琳に向けて撃った。
 釘は、落ちていく冥琳の服の裾に当たり、少しの間崖に周瑜を縫い止めた。
 刺さった杭は服の裾を徐々に裂いて、今にも破れてしまいそうだ。
「長くは持たん……! 周泰殿っ!」
「はいっ!!」
 周泰は飛んだ。
 崖のわずかな突起を足場に、周瑜の手を掴み、もう片方の手で桔梗の杭を把持する。
「冥琳様っ……! こんなに矢が……」
 冥琳の体には片手では足りない数の矢が刺さっていた。
「明……命……?」
 冥琳は意識がまだあった。
「周泰ッ! こっちに!」
 ひと一人を抱えて、片手で断崖にぶら下がる周泰の下に、船を回す。
「たっ!」
 明命は膝を縮めて岩壁に足底を当てて、船に向かって跳躍した。
 見事、船室上の屋根に飛び乗った。
 すぐに船室の中に入り、周瑜の治療にかかる。
「よしっ、反転!! 柴桑に舵を取って!」
 取り舵いっぱい、離脱する。
「敵が崖上からこちらに攻撃をっ!」
「華雄! 幔幕!」
「おおっ!」
 船尾から屋根に上り、シート状の盾を広げた。
 分厚く編まれた麻縄は、矢弾を防ぐ。
「全員下に潜り込め!」
 俺たちも櫂を握る船員も、みんなその下に入る。向かうのは下流。櫂を使わずとも流れに沿えば逃げられる。
「……周瑜の怪我は!?」
 幔幕の下、矢の突き刺さる音を聞きながら、俺は船室へと体を滑り込ませる。
「……ほとんどの傷は浅いものです、ただ……」
 矢傷の処置に入っている周泰。
「鎖骨に受けた傷が深く、早く落ち着いて休める場所に行かなければ」
 傷だらけの周瑜の体は、痛々しかった。
「おい…………見る、な……一応、乙女だぞ」
「周瑜」
 薄目を開け、か細い声で文句を言う周瑜。
 傷の治療のため、周瑜はほぼ裸だ。
 とはいえ、傷ついている冥琳に欲情するほど俺は節操無しじゃない。
「あ、そだ。消毒にこれ使う?」
 懐から瓶を取り出し、明命に見せる。
「なんですかそれ?」
「お酒」
「お酒って治療に使えるんですか!?」
「かなり強い酒だから……多分?」
「…………それは……祭殿の……」
 横目に見ていた周瑜が気づく。
「ああ。祭に貰ったやつ」
「……なんだか…………知らんが……酒なら……一口」
「飲むの?」
「飲まずに…………死ねるか……」
「縁起でも無いこと言わないでよ……まぁ、そう言うなら飲んでみると良いよ」
 周瑜の体を少しだけ起こして、瓶のふたをに酒を入れ、周瑜の口に含ませる。
「!!?」
 どんっ、と周瑜の体が跳ねた。
「げほっ……けほっ……! なん、だ、これは! 痛ッ!」
 咳き込む周瑜。
「異国の強い酒らしいよ。スピリッツってやつなのかな……?」
「…………けほっ…………あとで、折檻だな……あの人は」
 と、こめかみに青筋を浮かべるが、若干元気になった感があった。
「じゃあ、あとのお酒は消毒に使って。気休めにしかならないだろうけど――」
 俺は周瑜の脱がせた服についていた布袋を外し、周瑜の手のひらに乗せて、握らせた。
「御守りぐらいには、なると思うからさ」
 そう言うと、少しだけ冥琳の顔つきが和らいだ。
「北郷っ! 敵の攻撃が途切れたぞ!!」
 外から華雄の声。
「わかった! もう一回全力で漕いで急ごう!」
「了解だっ! ほらっ、水夫ども! 私と一緒に漕げ! 桔梗も!」
「豪天砲より重いもの持ったこと無いのだがな」
「だったら漕げるだろ!」
 船が加速する。
 下流へ、柴桑へ、呉へ向かって。

「くっそ、逃がすな! なんだ、あの船は糞っ!」
 黄祖と劉磐は周瑜を乗せた船を追った。
「あの船、劉表軍の旗あげてましたよね……」
「それで見逃したのか? んなアホな話があるかよ。軍船の管理ぐらいちゃんとやってるはず…………」
「水軍は文聘将軍がほとんど関わってないですからね。水戦は苦手らしいですよ」
「私たち江賊に悩まされてたぐらいだからな…………ってことは、水軍の統括は、行政の長の……誰だっけ」
「劉琦様ですね。おば上の親族で私の……ええっと、親族です」
「よく知らないのな。一応劉表軍、江夏守備軍所属の私らが知らないって事は、あまり軍には関わらない文官なのか…………それで取り締まりが緩かったのか?」
「とにかく、文聘将軍のところを突破される前に追いつかないと……!」
 河は曲がりくねっている。馬でまっすぐ行けば、追いつける可能性はある。
「あ……、いた! あれです! 傷が付いてる! あれが敵船です!」
 全速力で駆け抜けて、ついに追いついた。だが、敵は崖下の船だ。前後の距離は短くても、高低の距離が厳しい。
「ぐっ! 通過しちまう!」
「あ、あそこの哨戒船部隊! あれを!」
 敵船の進路に、数隻の味方哨戒船があった。
 黄祖と劉磐はあらん限りの叫びで、哨戒船隊の注意を喚起した。
「……なんだ? 聞き覚えのある声だが」
 船からのっそりと、赤髪の将軍が出てきた。
「うげっ……文聘将軍……!」
 黄祖は怯むが、
「将軍っ! その船! 今通過しようとしている船!!」
 それでも声を上げる。
「敵だっ!! 止めてくれっ!!」
 文聘将軍は黄祖の姿を見て、きょとん、としたが、すぐに周りを見回して、
「お?」
 哨戒線を突破する船の船尾にいる男、北郷一刀の顔を見つけて、破顔した。

「うげっ……!」
 敵船に文聘将軍の姿を見つけ、しかも目が合ってしまって、俺は思わず苦い声を漏らした。
「ここで会ったが百年目っ!」
 文聘が乗っている哨戒船上を移動し、俺を追ってきた。
「短いな百年っ!」
 俺は櫂を漕いで、文聘から逃げ出した。
「船を回せっ……! ちっ、反応が鈍い! 縄だっ! あの船を引っ張れ!!」
 文聘が何事か指示し、いかつい男達が、ぶっとい縄を引きずってきた。
「やれ!!」
 屈強な水兵達が縄を投擲する。
 鉤縄だ。
 先端につけられた鉤が、俺たちの船の縁に引っかかる。
「うわっ!」
 前進が止められて、船体が揺らぐ。
 水上に慣れている呉の水夫たちの操船でギリギリ転覆は防いだが、身動きが取れなくなる。
「どけっ、北郷! 私が戦斧でっ!!」
 華雄が飛んできて、戦斧を大きく振り回し、船を拘束している縄に打ち下ろす。
 が、その瞬間、敵が鉤縄を少し緩め、戦斧の接触を受け流した。
「おわっ」
 バランスを崩し、華雄が船の上を転がる。
「このっ!」
 と、桔梗が豪天砲で鉤縄を持った敵兵を狙うが、揺れる船上では当たるものも当たらない
「よしっ! 今のうちに囲め!!」
 敵の他の船が動き出す。
 マズイ。
 このまま囲まれ、水の中にたたき落とされれば、いかに華雄や厳顔が強くても敗北する。
 周泰は船室にいて動けないし、
「…………」
 いや、違う。
 俺がやれば良い。
 それがわかりかけていたから、ここまできたんだ。
 それを理解しているのは俺だけじゃ無い。
 むしろ、俺以上の確信を持って、すぐ傍にいる。
 俺は無銘刀を抜刀した。
 輝く刃。
 なだらかに反った刀身。遊びの無い造りはただ戦うためだけにある。
 なぜ戦うのか。
 それはもう決まっている。
「ふう……っ!」
 息を吸って、構えて。
 一刀――
 両断する。
 束縛を、断ち切る。
 自然に、当たり前のように。
 そうだ。これは当然のことだ。
 この刀は――そのためにあるんだから――!

 ザンッ……!

 誰も反応できない速度で、鉤縄は斬られた。
「全速離脱!!」
 結果を確認する前に命を下す。
 練度の高い水夫は、ただちに櫂を繰り、その場から船を離脱させた。
 文聘達が何が起こったのか理解した時には、もう、船は遠くにあった。
「文聘将軍、追いますか……!?」
 部下の声。
 けれど将軍、文仲業は、ただ棒立ちになって、船の行く先を目で追っていた。
「……」
 少女は傾いた太陽の紅い光を受けて、朱色に頬を染めていた。



 孫策は棒立ちになって、折れた剣の柄を取り落とした。
「神妙ですね」
 逆に劉表は自分の剣を取り上げ、上段に構えた。
「斬刑の執行、させてもらいます」
 孫策の上半身を斜めに、袈裟斬りにしようと剣を――
「……っ」
「えっ?」
 孫策は一歩踏み込み、劉表の剣の腹を、手の甲で払いのけた。
 そしてもう一歩踏み込み、左拳で、
「はっ!!」
「ぐっ……ふっ……!?」
 劉表の腹部を殴りつけた。
 さらに追撃の右ミドルキックで、剣を把持している左手の肘ごと腹部まで蹴り上げる。
「づっ!? このっ」
 劉表は右手首の隠し剣を飛び出させて、孫策を斬る。
 だが、触れたか触れないかの感触だけ残して、孫策は回避した。
「しつこいですねっ……! 剣を失ってなお、戦うのを辞めないとは思いませんでした」
「あいにく…………死にたがりじゃないのよ……」
 幽鬼のように、ゆらり、と不気味に体を動かす孫策。
「ただの死に損ないですよ……今の様子は」
「そうね…………なんで、わたしは生きてるんだろ……?」
 誰宛でも無い、中空へ放たれた疑問。
 天は答えない。地はただ生きる者を支えるだけ。
 そして人は、いま孫策の傍にいない。
 ならこの問いは、自分への問いだ。

「全軍突撃!! 孫策さんの助攻を!!」
 孔明の咆哮が轟く。
「儂の箭矢の行き先に突貫せよ!!」
 黄蓋も自分の矢に負けないぐらいの大声を飛ばす。
「孔明に……祭……?」
 正面の本隊同士の戦いは拮抗している。とてもここ劉表軍本陣に届く勢いでは無い。
 実際、彼女たちの声は、斜め後ろの方向から聞こえていた。
「……敵分隊の強襲? なるほど。これがあなたの脱出の策ですか」
 劉表は得心した。
「……では、一騎討ちは終りですね。悪いですが、大軍で圧殺させてもらいますよ」
 そう言い残して、劉表は立ち去った。
「孫策さーん!」
「策殿ーっ!」
 軍勢をかき分けて、二人の部隊が到着した。
「よく来られたわね……二人とも。きつかったでしょ」
「いえ……孫策さんの動きに戸惑っているところを横から攻撃したので、たいした反撃は受けませんでしたから」
「そう…………」
 孫策の奇襲方向とタイミングがわかっていなければできない芸当だが、孔明は事も無げに言い切ったので、孫策は、ふふ、と笑った。
「祭も。よく来てくれたわ。本隊で戦いたかったでしょうに」
「言っただろう? 策殿の道に従うと」
 雪蓮と祭は笑いあった。
「さて。今の状態なら、まだ劉表は射程範囲。攻撃するか?」
「いえ…………時間を稼ぐのはそろそろ終りです。ほら」
 と、孔明は空を指さす。
「東の空に狼煙があがっています。どうやら、長沙城からの脱出は成功したようです」
「え?」
 孫策は驚嘆する。
「なんであんな方向から狼煙が!?」
「劉表軍は南から陸路で来ると予測しましたので、迂回して情報が伝えられるように、狼煙台を設けさせておきました。時間差があるので、おそらくご主人様と孫権さんたちは、すでに荊州を脱しているかと」
「なんと……!」
 黄蓋も目を見開いた。
「では、南の江陵郡からの伝令は殺されたか……!」
「おそらく。無理もありません。数万の兵が動いていたわけですから……」
 というか、なんで孫策の動きに劉表が気づかなかったのかの方が不思議だ、と孔明は思った。
「なら……戦う理由が無くなったわね」
「はい。全軍を撤退させましょう。追撃は厳しいでしょうが、漢水を渡ってしまえば、劉表軍も迂闊に攻撃できなくなるはずです」
「まずは、儂らがここから無事に出て行けるか、が問題じゃがな」
 四方は敵軍で埋まっている。
「……私が囮になるわ」
 と、孫策が小さく、驚くべき事を呟いた。
「え?」
「敵の注意を惹けば、脱出も可能でしょう。ついでに、直接襄陽に向かわずに、回り道して敵を釣っておくわ」
「しかしそれは……!」
 孔明が止めかけるが、
「いや。この修羅場、やりたいようにさせるほうが策殿も儂らも生き残れるじゃろ」
 と、黄蓋は肯定した。
「代え馬だけもらっておく。あ、あと武器ちょうだい」
 と手を広げる雪蓮。
「……なんじゃ、無くしたのか?」
「ええ。折れたわ」
「…………そうか」
 黄蓋は目を伏せた。
「え、折れたって…………あの」
 朱里は慌てて2人の顔を見比べる。
 しかし、黄蓋はすぐに気を取り直し、自分の腰につけていた近接用の曲刀を渡す。
「なんの名前も無いただの刀じゃが、策殿が使えば名刀と化す、かもしれんな」
「ありがと。大事に使うわ」
 そして孫策は1人、馬に乗って東側の敵軍に突撃していった。
「…………黄蓋さん、孫策さんの折れた剣って……」
「しようがないさ。折れてしまった物はな」
「でも…………」
 あれは、孫呉の……と言いかけて、孔明は口をつぐんだ。
 自分の言うべきことじゃ無いから。
「敵が仕掛けてくるな。隊列が整ってきておる」
「整いきる前に、一度荒らします。全隊、扇形の陣を」
 孔明の元に北郷軍が集結し、陣を形作る。
「要をもって敵を切り、円弧をもって傷口を広げる。広げきった時点で要を移動。敵陣を離れます」
 要の部分を鋭くとがらせ、後陣を分厚くした陣が突撃を開始する。
 横一列に広がった敵陣。
 その奥には必ず横列と同じだけの厚さの列がある。
「踏み込みすぎるな! 行きすぎれば砕かれるぞ!」
 扇の要が向かう方向に、黄蓋はひたすら矢を乱射する。
 敵陣を踏み砕き、楔を打ち込み、埋まりきる寸前で要が止まる。
「全弓隊一斉射!! 敵の足を止めよ!」
 反攻の機を逸らし、扇の要をずらす。扇は三角形に変化し、そして――
「進行方向は――こっちだ!」
 多幻双弓の矢が西へと飛ぶ。
 西方へ向けて、扇の要が再形成される。
「北郷軍全軍!! 離脱を!!」
 孔明の指揮により、扇が転回。脱出を開始する。



「逃げられましたか………………っ!」」
 本陣を建て直した劉表が、馬から下り、車椅子に座る。
「っ……くっ……けほっ……こほっ……」
 落ち着いた途端、劉表は咳き込み始めた。
「けふっ、ごほっ……けほっ、はっ……はぁ……けほっ」
 汗がどっと出て、すぐに冷える。体温が下がり、吐き気が襲ってくる。
 咳が止まらない。
「動き……すぎましたか」
 呼吸を整えるのに十数分。
「駄目ですね……私は」
 胸を押さえ、車椅子の肘掛けにもたれかかる。
 髪は乱れ、若干着物もはだけていた。
「大丈夫ですか、劉表殿」
「ああ、カイ越さん。全体の戦況はどうです?」
 劉表は車椅子に座り直す。
「はい。正面の戦闘は反撃に移り、優勢に傾きつつあります。奇襲された後陣は現在修復中。一部は孫策を追撃中です」
「距離をとりつつ追い詰めるように」
「はっ。それから……孫呉の小部隊が東の江夏郡を攻撃しているらしいと報告が」
「……江夏郡からこちらに援軍を送るつもり……? 襄陽城を解放するまで、漢水を渡るのは危険かもしれませんね……正面軍含む追撃作戦の指揮は、カイ越さんに任せます。襄陽城の回復を優先してください」
「了解いたしました」
 カイ越はそう言って馬にまたがり、軍の指揮に戻った。
「…………ふぅ……」
 ため息をついて、車椅子の車輪を固定した劉表は、深く座り込んだ。
「まったく……骨が折れる。小覇王の始末なんて…………任されるんじゃ無かった」
 パキ……っ。
「ん……」
 嫌な音がした。
 右腕から。
 そして、左手で右手に触れた瞬間、
 バキィッ!!
 義手が割れた。
 孫策の斬撃に耐えられたと思ったが、肘の接続部分がバラバラになって壊れてしまった。
「繊細な部分は外れたと思ったのに、堅牢な肘部分が壊れるなんて…………よっぽど強烈な一撃だったようね…………」
 劉表は残骸をかき集めて袋の中に入れた。
「精巧な代物をよくもまぁ…………またお願いしないと……ああ、今回の報酬として直してもらえば良いか」
 キィッ、と椅子を軋ませる。
「まっ……たく……、あなたの娘も、厄介ね。孫堅。生き急ぐのが、血なのかしら」
 目を閉じる。
「ああ…………でも、孫仲謀……あの娘はちょっと違うか…………」
 眠りにつくように、体を休める。
「願わくは……あの娘の生き方が…………平穏を望むものでありますように…………」



 孫策は走っていた。
 どこを走っているのかは自分でもよく分かっていない。
 ただ、走って、敵を斬って、蹴散らして、また走った。
 なんで走っているのだろう。
 よくわからない。
 大切なものを失った。
 剣を。南海覇王を。孫呉の王としての象徴を。
 自分はもう、孫呉の主ではない。
 じゃあ、自分は何なんだろう。
「はっ……はっ……はぁ……!」
 息切れして、答えを口にすることもできない。
 切れた頭の血を拭い、木陰でちょっとだけ休む。
「ふぅ……」
 息が熱い。血も。
 帰っても、明るい展望は無いのに、ここにきて生きたがっている。
 孫呉の王では無くなっても。
 小覇王では無くなっても。
「あんまり変わらないわね……」
 疲労で重くなった体、けれど肩は妙に軽かった。髪を切ったから?
 蓮華は無事に長沙を脱した。
 私にできることはもうほとんど無い。
「重荷を負わせちゃうのが、ちょっと心配だけど……」
 蓮華が君主としてやっていけるか、まだ不安はある。
 けれど、彼女がいる。
 周瑜……冥琳が。
「私は私で……、やっていかないとね」
 冥琳との約束がある。
 天下は分かれても、続いている。
「こっちに行ったぞ!! 探せ!!」
 敵が追いついてきた。
 体を預け休んでいた大木から体を離し、叫ぶ。
「我が名は孫伯符!! 劉表軍の弱卒ども!! 私はここにいるぞ!!」
 名乗りを上げ、剣を振るう。
 彼女は走る。
 バトンを渡しても。
 孫策が孫策である限り。
 声が続く限り、叫ぶ。
 孫策として。
「それに…………」
 斬って斬って斬って、生を求めて、道を求めてさまよいながら、孫策は笑う。
「まだ、私を雪蓮と呼んでくれる人はいるんだから…………!」
 この世界に生を受けて良かった。
 真名が無ければ、私はここで死んでいたかもしれない。
 もしかしたらこの先、私は孫策ですら無くなるかもしれない。
 けれど。
 真名は絶対に変わらない。
 だから、私は、雪蓮は生きていくことを諦めない。
 真名を抱えて、生きている限り――!



 長江、荊州と揚州の境界となる流域。
「周瑜! 孫権たちの乗ってる船が見えてきたぞ!!」
 俺は船室に入って朗報を告げた。
「そうか……ようやくだな」
 追撃を振り切った後、周瑜の様子は治療の甲斐もあって落ち着いていた。
「これで、呉に帰れますね!」
 明命も嬉しそうだ。
「ちゃんと医者にも診せないといけないし、移る準備をしないとな」
 治療に使った薬や包帯を片付け、戸板を外して周瑜を乗せる。
 孫呉水軍の楼船に板を渡し、乗り移る。
「冥琳!」
 蓮華が駆けつけてきた。
「怪我をしているのか!?」
「たいしたことはありません」
 即座に周瑜は説明した。
「手足に流矢が当たった程度です。ご心配には及びません」
「ああ…………そうか。良かった」
 蓮華は周瑜の手に手を軽く重ねた。
「船を柴桑に向ける。ただちに医者を呼ぼう」
「感謝を。それと…………おめでとうございます。呉に、帰れますな」
 さっき明命が言ったことを、冥琳も言った。
 だが、感慨はより深い。
 蓮華と冥琳、そして亞莎は半月の籠城に耐えての帰還だ。
 その心中は、とても他人には分からない。
 蓮華は無言で、そして小さく涙を浮かべて、頷いた。

 周瑜を病室に休ませ、全員が外に出た後、1人だけ病室に戻ってきた者がいた。
「…………何か忘れ物か?」
 周瑜は尋ねる。
「はい……とても大事な」
 彼女は答える。
 懐に何か大事なものでも入っているのか、手をそこにいれたままで。
「ふむ…………」
 と、少しだけ顔を上げる周瑜。
「物に執着しないお前が、珍しいことだな…………魯粛」
 病室に入ってきたのは、魯粛だった。
「周瑜殿にも、関わることですので……」
「ほう…………とすると……孫策から何かあったか?」
「御明察です」
 魯粛は背中から筒状の箱を取り出した。
 いつも猫背だったのに、妙に姿勢が良いのはそれが入っていたからか。
「……剣、か? お前、いつから武官になったんだ?」
 と微苦笑する。
 体格の割に、魯粛は戦闘が苦手だ。一般兵程度なら相手にできるが。
「はは、いまから大将軍を目指しますかな」
 魯粛も笑うが、すぐその笑顔を引っ込めた。
 普段ニコニコ顔を崩さない彼女にしては珍しい現象だ。
「しかし武官になったとしても、この剣は持てませんがね。今こうしているだけで、震えが来ますよ」
「…………?」
「……どうぞ。ご覧に」
 箱を開けて中の袋の口を開き、少しだけ布をずらして剣の柄を露出させる。
「これは…………!」
 周瑜は仰天し、まじまじとそれを見つめた。
「事が事ですので……孫権様の前に、まずは周瑜殿にお見せするべきと……」
「そうか…………」
 周瑜は目を強く閉じた。
「雪蓮は…………もう、王では無いのだな」
 周瑜は、その剣に見覚えがあった。
 いや、孫呉に関わる者なら誰でも知っていよう。
 南海覇王。
 孫呉の王がもつ伝承の宝刀。
 それがここにあるということは……。
「長沙へ向かう際、孫策様に頼まれ、蓮華様に渡すようにと…………」
「失策の責任をとったつもりか…………あの馬鹿っ……!」
 唇を噛み、泣き出しそうなぐらい顔をしかめる周瑜。
「まさか…………死ぬ気ではあるまいな」
 剣を失うかもしれないぐらいの戦闘。
 そうなれば、当然、雪蓮の命も危ない。
「わかりません。ただ…………」
 と、魯粛は懐から手を出した。その手には、手紙が握られていた。
「私には、この手紙の方が重要であるように思えたので、しっかと守っておきました。こちらを…………」
 と、手紙の封を開け、開いて周瑜に見せる。
「…………」
 それは孫策の字だった。
「これも……長沙に出立する前に?」
「はい。直前に書かれた物です」
「…………」
 周瑜は目を動かして、その字を、文章を追った。
 そして読み終わると……、目を閉じた。
「やはり…………孫策は呉を、蓮華様に任せるつもりのようだ」
「そうですか……」
 魯粛は粛々としてそれを受け入れた。
「南海覇王は、私が預かっておこう…………今見せても、混乱するだけだ」
「はっ。では、よろしくお願いいたします」
 魯粛は南海覇王を入れた箱にもう一度鍵をかけ、鍵を冥琳に渡して、退出した。
「………………」
 周瑜は1人になって、あげていた顔を枕に埋めた。
 大きく息を吐く。
 雪蓮は生きている。
 おそらく。
 高い確率で。
「…………ふっ」
 冥琳は笑った。
 手紙の内容は魯粛に言ったのと変わらない。
 だがいくつか、雪蓮が冥琳だけに宛てた内容があり、そこには彼女のこれからについての考えが示されていた。
 笑ってしまうほどの。
 未来への想い。
「天下二分…………か」
 安らかな気持ちで、彼女は眠りについた。
 かすかに揺れる船の上で。
 船は呉へと向かっている。
 古き故郷へと向かう、新しき旅路だった。



 荊州における孫呉と劉表の戦いは、一時的に幕を閉じた。
 襄陽城は劉表軍によって解放され、漢水を隔てて、劉表軍と孫策軍は膠着状態に入った。
 孫呉の領土である長沙は劉表の支配下に入り、荊州の漢水以南は全て劉表の領土となった。
 孫策の、完全な敗北である。
 この報は中華全土に伝えられ、孫策の威名は大きく傷ついた。
 そして以後、孫策の名は呉の歴史書にほとんどと言って良いほど出てこなくなるのである。孫策はこの戦いで、死んだも同然なのだ。
 そしてそれは孫権を王とする新しい孫呉の始まりが、この戦い以後であることを示している。
 史書は語らない。
 彼女たちの外史を。




 外史『無銘伝』、第二章/完








   新章/プレリュード





「暇なのだ……」
 司州、洛陽郊外の関門、函谷関。
 そこで張飛はむくれていた。
「いいことじゃないか…………と言いつつ、私も暇だ~……! 出番が無い~!」
 馬超も、西を望む函谷関の壁上で、あくびをしていた。
「白馬長史や劉備は忙しいらしいが、あたしはその応援ばっかり。昨日の作戦にも参加できなかったし。戦らしい戦も無し。体がなまってくるぜ……」
「董卓軍が大人しくなっちゃったからな~…………」
「賊もあんまり出ないし。ああ~、あたしも、北郷のほうについてきゃよかったなぁ」
「そんなこといって、お兄ちゃんに気があるのか?」
「ばばばばばか!! んなわけあるか!! だだ、だいたい、あいつは仲間にしたやつ全員手籠めにするエロエロ魔神だって聞いたぞ! そんな奴に、なんであたしが……」
「別に無理矢理じゃないのだ。みんなお兄ちゃんが好きだからしてるのだ」
「なななななんだと!? ってことは、お、おま、お前も!? お前も北郷に……!」
「ん~? 何の話なのだ? 鈴々はただ、みんな好きでお兄ちゃんと仲良くしてるって言っただけなのだ」
「あ…………そ、そういう……ことか」
「顔を真っ赤にして何を想像してたのだ? 馬超のほうがエロエロ魔神なのだ」
「な、なんだと~!!」
 さらに顔を真っ赤にする馬超に、
「んん?」
 張飛は城牆の上で立ち上がった。
「なんだ? 何かあったのか?」
「…………西から土煙があがっているのだ」
「賊か? 董卓軍残党か?」
 と、馬超もそちらを見る。
 視界に入るギリギリ。視認できるギリギリに、それはあった。
 炎。
 小さな炎が、徐々に近づいてくる。
 旗だ。
 深紅の旗。
「りょ…………っ」
 馬超は息を呑んだ。
「呂布だ~っ!!」
 2人の叫びが重なった。


 
 ――その前日――
 
 洛陽から黄河を渡って北に位置する河内郡。
 そこに劉備軍、曹操軍の一線級の将軍が集まっていた。
「警戒を厳に!! 北と西は特に哨戒部隊の連携を密にせよ!」
 関羽が青龍偃月刀を手に、各部隊を監督している。
「張り切ってるわね」
 凜々しい関羽の姿を見て、少し表情を崩す曹操。
「…………無邪気に喜べる事態とは思えないけど……」
 河内郡の境界となる山際、自領の防衛部隊を除くほぼ全軍が揃っていた。
「あなたはどう思っているの? 劉備」
 緊張した様子で隣りにいる劉備に、曹操は声をかけた。
「…………わかりません……お顔を見てから、決めようかと」
「そ。まぁ、私もまともに顔を見たこと無いし…………それも良いのかもね」
 曹操は頭痛を発している頭を軽く叩き、ため息をつく。
「他の連中がどう考えているかも気になるわね…………袁紹、袁術、馬騰、公孫賛、孫策……北郷はあなたと同じ考えだと思って良いのね?」
「え? え~っと、そうですね。直接この事でお話を聞いたわけじゃ無いですけど……同意見だと思います」
「そう…………あの男、何やってるのかしらね」
 孫策軍の援軍に行って以来、全然帰ってこない青年のことを思う。
「…………」
 桃香は、少し顔を曇らせたが、すぐに引き締めた。
「来ました!! 北西、山中に目標を発見!」
「ただちに保護を! 護衛部隊、急行せよ! 私も続く!」
 状況が動いた。
 関羽が軍を率いて山中へ入る。
「春蘭、秋蘭、関羽の脇を固めなさい」
「ははっ!」
 曹操軍も別の入り口から山へと突入する。
 その作戦は夕に始まり、夜には全てを終えて洛陽に帰還した。
 曹操は洛陽に着いた時点で、軍の一部を置いて領地であるエン州へ戻り、劉備は洛陽に残った。
 洛陽の本当の主が帰ってきたため、劉備が洛陽にいる理由は少なくはなったのだが……。
「…………ごくっ」
 劉備はその本当の主の居室を前に、唾を飲み込んだ。
「し……失礼します……っ」
 扉を開ける。
 夜ではあったが、室内は灯りがつけられていて、様子がよく分かった。
 室内にいる人間は三人。
 主である少女の左右に2人。1人は桃香も見覚えのある女性、たしか名前は、蔡炎。
 もう1人は、付き人なのか可憐な格好の少女。ご主人様が言っていたメイド、というのはこういう娘の事を言うのだろうか、と桃香は思った。
 そして、中央。この部屋の、いや、洛陽の……天下の主。
 彼女は、ともすれば普通の少女のようにも思えた。
 だが、周囲の空気が違っていた。それは少女自身によるものか、それとも、左右に控える2人によるものか…………。
 少女自身の猫の絵が描かれた寝間着を着た姿は親しみを感じるが、その雰囲気は静謐に満ちあふれ、灯りの影で若干顔が見えないのが、この間近にあっても底の見えない、神秘のベールを纏っているように思えた。
「あ、あの……」
「こんな夜に呼び立ててすまなかったな」
 と主たる少女は言う。
「い、いえ、えっと……こ、皇帝陛下におかれましては、えっと」
 雛里に教わった、厳めしい挨拶をたどたどしく口にする桃香。
「よいよい。気を楽にせよ。余も、堅苦しいのは苦手じゃ」
 皇帝陛下、と呼ばれた少女は快活に笑う。
「は、はい……」
 桃香は頷くが、しかし緊張は簡単に解けなかった。
「余は、そなたに礼を言わねばならぬ」
「え……ええ?」
 戸惑う桃香に、皇帝は小さく頭を下げた。
「これまで洛陽を守ってくれたこと、感謝する。戦乱に巻き込まれ、失われかけた都でこうしていられるのは、そなたのおかげじゃ」
「い、いえ……そんな……えへへ」
 頭をかき照れる桃香。
「そなたは皇族に連なる者であると聞く。これからも、漢王朝のために尽くして欲しい」
「……はい」
 厳かな気持ちで首肯する桃香に、皇帝は微笑みかけた。
 そのあどけない笑顔に、桃香は、一刀の顔を思い出した。
「そなたには個人的にも助けになってもらいたい。皇帝の力は今やか細きもの。そなたの力が必要だ……」
 部屋の奥、椅子から立ち上がって桃香の傍に寄り、その手を取る。
「陛下……」
「いや……陛下では無く名前で呼んでくれ。公の場では無理だが、2人きりの時や、今のように、この者たちのみがいる時は――」
 そして少女は、その名を口にする。

「私のことを、阿斗、と呼んでほしい」

 その少女の名を知るものは、今、この世界で、この部屋の中にいる者しかいない。
 曹操も。袁紹も。孫策も。劉表も。
 その名を知らない。
 そして――
 北郷一刀もまた、その少女の名を知らない。






 後書き



 孫呉VS劉表軍完結、第10話でした。
 前振りも合わせるとやたら長い話になってしまいましたが、ともかくこれでおしまいです。
 作中、荊州の地名が結構出ましたが、位置関係は、むじん書院さまの、三国志地図内、東南部(揚州・荊州)の地図を見て頂ければどんな感じか掴めるかと思います。
 地図上、左上に樊城と襄陽城があり(ちなみにその北東に新野と袁術のいる南陽があります)、そこから真南に江陵。江陵から東南に長沙(臨湘)、東に江夏があります。江夏から南東に孫権たちが目指した揚州、柴桑があります。
 こうみるとめちゃくちゃ広いですね。そんな一週間とか二、三日で行けないだろって気はしますが、気にしないで下さい。あと、長沙から北東に真っ直ぐいけば柴桑に出られるんじゃないのって気はしますが、き、気にしないで下さい……。

 新キャラと新設定
 
 今回出した新キャラ、文聘さんについて。
 文聘、字は仲業。
 劉表の配下で後に曹操に帰順。
 孫呉との境界、江夏の守備を任され、守り抜いた名将。
 作中では性格よくわかんない人になっちゃった守城マニア。外見は楽進の2Pカラー。
 武器は手甲。というか拳。気を通して対象を硬化させることができる。EDとかにも効果があるかもしれない。
 本作では黄祖の上司っぽいが、史実では特に関係は無さそう。

 新設定、劉表の武器について。
 武器名、八瞬。
 隠し武器八種類。名前の由来は、劉表が八俊と呼ばれていた事から。
 卑怯くさい。初見だと強い。ばれると弱い。
 劉表が動きたがらなかった理由は体が弱いことと、動くとき武器が暴発しないように気をつけなければならないから。
 動く時も優雅に滑らかに動こうとしてるのは変な動きをすると武器が飛び出るから。
 ちなみに、8種類の武器というだけで8個の武器というわけではなく、数はもうちょっと多い。その点で作中の孫策は勘違いしている。

 これからについて

 年内に完成して良かった……。
 というわけで、年内はさすがにこれで終りです。
 今年は2話しか書けませんでしたが、一話が長かったので、なにげに去年より書けたようです。
 次は、一段落したので、拠点フェイズというか、一刀と呉の面々との軽い話でも書こうと思います。書いている内に思春が良い感じになってきたので思春メインで。(主に18禁)
 
 全体からいえば、これで三分の一が終わったかな? という感じです。大体の感触なので果たして三十話までいくのかは不明ですけれども。
 なんにしてもまだまだ続くよっ、という事で、これからも良ければおつきあい下さい。
 それでは。




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