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真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~【新装版】真・恋姫†無双 ~乙女繚乱☆三国志演義~【新装版】
(2010/04/02)
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 第7話 無銘伝五 ~名も無き英雄~
恋姫†無双 外史『無銘伝』第6話
恋姫†無双 『無銘伝』欠史1  華雄(葉雄)伝
恋姫†無双 外史『無銘伝』第1話


この外史は北郷一刀が全力でとある少女を救う物語。
一振りの刀に導かれ、一刀は三国志世界へ帰還する――
※PC版の無印恋姫、真・恋姫を元にした二次創作です。




 前書き

 お久しぶりです。
 第七話を書いていたつもりだったのが、いつの間にか第八話を書いていました。
 何を言っているのかわからねーと思うが(以下略)
 本当は第七話と第八話は一つの話としてまとまっていたんですが、書いているうちにどんどん文字数が膨れあがり、五万文字を突破した時点でまとめるのを諦めました。
 というわけで一挙二話です。
 この話から本格的にオリジナルキャラクターが出現します。
 恋姫キャラそっちのけで活躍させないように注意しますので、オリキャラはちょっとなーという人にも読んでいただけたら幸いです。




「すごい騒ぎだな……」
 洛陽の宮殿から、俺はたくさんの文官・武官、将軍・軍師たちを見渡していた。
 皇帝からの使者が洛陽に到着したとの報を受けて、周辺の州から群雄が再集結していた。
 劉備をはじめとして、曹操、馬超、袁術、公孫賛など、有力な英雄たちはほとんど揃っている。
「……ん? でも、袁紹と孫策がいない?」
 袁紹軍の旗はあったが、あの目立つ黄金のお嬢様とそのお守り二人の姿が見えなかった。
 そして孫策に至っては軍の姿すら見えない。
「どう思う、朱里?」
 使者の出迎えの準備を終えて、一段落した孔明に尋ねた。
「袁紹さんは面倒だから代理の部下に一任、という可能性が高いですが、孫策さんは……上役である袁術さんに任せた、というのは考えにくいですね」
「孫策は独立心が強いからなぁ」
「孫権さんたちがいませんし、多忙なのかもしれません。荊州は賊の動きが活発な地域ですから」
「そうか……」
 時間となり、俺たちは全員宮殿の中央、皇帝が謁見や儀式を行う広間に集まった。
 各軍の首脳が一所に集まったことにより、孫策軍は一応、魯粛という人を代表として送っていたことがわかった。
 広間の左右に群雄たちは居並び、皇帝の使者を待つ。
「き、緊張するよ~!」
 隣の劉備が震えている。
「大丈夫、大丈夫」
 その手を握り、落ち着かせる。
「あ……えへへ、ありがとう、ご主人様っ」
 桃香は頬を赤らめる。
 さすが、それだけで震えはぴたっと止まった。
「……」
 が、じとーっと、劉備の反対側から睨む人物がいて、今度は俺が震え上がった。
「あ……じゅ、荀攸? あ、あはは、荀攸は全然緊張してないね」
 曹操軍所属の軍師、荀攸。
 彼女のメガネの奥の鋭い眼光が、俺を射貫く。
「…………ふん」
 少女は、ぷい、と俺のひきつった愛想笑いから顔をそらす。
「荀攸様に一体何をしたんですか隊長……」
 その様子を見ていた楽進が、心配そうな声をあげる。
「……いや……たいしたことは……」
 小声でそれに応じる。楽進にはとても言えない事だから、どうにも言葉が詰まる。
 先日、俺は荀攸に対して、俺自身の胸の内を少しだけ話した。
 そしてそれは――荀攸、いや、荀攸と名のっている、本当は董卓軍の軍師である賈駆に、痛みを与えるものだったらしい。
(今の時点で安易に謝ったら……逆にまずいよな……)
 腹の内で怒ってはいても、仕事はきちっとこなすのが詠だから、俺や劉備軍に対しておおっぴらに態度を硬化させるようなことはなかった。
 ただ、私的に俺と接するときとか、何かあるたびに、さっきのように睨まれていた。
 だから身近にいる楽進たちは、彼女と俺の関係の微妙な変化に、気づいてしまっていたのだ。
「そろそろ来るかな」
 俺は話題をそらした。
「……はい、もう少しで……あ、来たようです」
 楽進の声とほぼ同時に、その場の全員の視線が一点に集まった。
 華美壮麗ではないが荘厳さを感じさせる、皇帝の使者たちの入場だ。
 先頭がおそらくその代表だろう。
 礼服をまとった中肉中背の女。ここからでは細かな表情は見えないが、落ち着いた足取りからして、諸賢群雄が並ぶなかでも物怖じしない豪胆さが感じられる。
 彼女の後ろには供人と護衛の兵が続いているが、その全員が周りから発せられる殺気にも似た圧力を浴びて、がちがちに萎縮してしまっていた。
 ……?
 いや、一人だけ、一人だけ何かを探すように左右をきょろきょろと見ている小柄な人がいる。
 その服装からして従者の中でも位の高い人物であることはわかるが、顔つきはヴェールに半分以上覆われていてわからない。
(知ってる人はいない、かな?)
 見た限り、知っている顔はない。
 先頭の女性が近くまで来たので、俺はそれをちらりと見る。
 美しい黒髪を結い上げて冠でまとめた、わりと一般的な官人らしい身なりの女性……どこから見ても知らない顔ではあるが、鼻筋の通った、綺麗な容貌だと思った。
 けれど少し、硬く冷たい気もした。まぁそれは、こんな場では仕方ないか。
「…………っ」
「ん?」
 その女性の真っ直ぐ見据えていた視線が、少し、揺れた。
(一瞬……俺を見たような……気のせいか?)
 女性は足を止めることはなく、ゆったりと前進していき、俺の傍を通り過ぎた。
 やがて、使者たちは群雄たちの作った列の先頭にたどり着き、全員が玉座に続く階段の手前で止まり、振り返った。
 
「皇帝陛下の使者として罷り越しました。蔡炎と申します」
 うやうやしく拱手し、使者――蔡炎は口を開く。
 
「蔡炎(さいえん)……?」
 聞いたことのない名前だった。
「誰か知ってる?」
「さぁ……?」
 桃香は首をかしげた
「……ええと……名前は聞いたことがありますが……」
 と、朱里。
「……確か、蔡ヨウという朝廷の文官の娘が同じ名前だったはず……でも……たしか、異民族に連れ去られてしまったと聞いたけど……」
 と、荀攸。
 
「先だっての遷都より、朝廷は混乱しておりまして、到着が遅れたことをまずはお詫びいたします」
「詫びは結構だけれど、陛下はご無事なのかしら?」
 誰もが固唾をのんで蔡炎の言を聞こうとしているなか、曹操が尋ねた。
「はい」
 無礼にも見える曹操の問いに、蔡炎は穏やかな表情で応じた。
「陛下は長安の都におわしまして御健在でございます」
「そう……それで、此度の使者のご用向きは?」
「はい。それでは陛下の勅を伝えさせていただきます」
 蔡炎は言葉を切り、ここからが勅であることを理解させたのち、改めて口を開いた。
「まず、陛下は、このたびの臣同士の争いに深く心を痛められ、停戦をお命じになられました」
「停戦……」
 言われなくとも既に主力の軍同士の戦いは終結しているが、小競り合いも止めろということだろうか。そんなもの止めようがないと思うのだが……。
「現在、陛下は混乱を避けて長安に遷都しておりますが、洛陽への帰還を望んでおられます。故に、諸臣におかれましては兵を退き、元の役目を果たされんことを、とのこと」
 蔡炎を通して伝えられる勅に、諸将は苦虫をかみつぶしたような表情で、苛立ちをあらわにした。
 言っていることはわかるが、何を今更、というのが全員の本音だろう。
「……しかし、今は黄巾をはじめとして、都周辺、辺境問わず賊が暴れ回っている。このままただ軍を解散させれば、奸賊に都を明け渡すようなものでは?」
 皆を代表するかのように公孫賛が言上する。
 賊、と言い換えてはいるが、ようするに、また董卓軍が洛陽を占領するだけだろう? という呆れが内にこもっている。
「もちろん、諸州の鎮圧、慰撫は急務でありましょう」
 こくり、と蔡炎は頷く。
「そのため、陛下は州の長たる州牧を設置、権限を強め、各州を統治させるご意向です。それにはもちろん忠臣たる皆様のご協力も必要になりましょう」
「州牧……劉焉殿のような?」
「はい。監察権に加え、兵権や徴税権……すなわち行政権を付与した官職です」
「それは……誰が任命されるのかしら?」
「ひとまずは、信頼のおける皇族につらなる方を主要な州の牧とします」
「……詳細を伺ってよろしい?」
 曹操は、冷めた声色で訊く。
「エン州牧に劉岱殿、幽州牧に劉虞殿、荊州牧に劉表殿、揚州牧に劉ヨウ殿」
「!?」
 一同がざわめいた。
 それはそうだ。
 エン州はすでに半分以上が曹操の支配下にあるし、幽州は公孫賛、荊州は袁術と孫策が実権を握っている。そして揚州は孫策や孫権の母である孫堅が支配していた根拠地、呉が存在する。
 それが突然、皇族であるという理由だけで長が代り、その上権限を奪われるなんて――
「また、陛下はこのたびの戦いの原因は、官位官職に対する不満であるとお考えになり、皆様の中からもお一人、州牧に取り立てることとしました。この場には……お出でになっていないようですが」
 と、蔡炎は群雄を見回す。
 この場にいない誰か……?
 嫌な予感がした。
「……袁紹を?」
 俺の嫌な予感を、曹操が代弁してくれた。
 しかし、蔡炎はあっさりと首を横に振った。
「いいえ。韓馥殿です。彼を冀州の牧に任命いたします」
「韓馥というと……たしか黄河で、董卓の別働隊を破った……」
 俺が朱里の方を見ると、こくんと彼女は首肯した。
「はい。しかし現在の動向は不明です。……戦いで負傷し、本拠である冀州に戻ったとも聞いていますが……」
「へぇ……」
 と、納得するが、どこかから小さな声が聞こえて、その方向――荀攸の方へ視線を向けた。
「……韓馥…………死んでいたはず…………偽物……いや…………敵が……狙いは……」
 何かつぶやいているのは聞こえたが、とても意味を聞き取れるレベルではなかった。
「いないとなれば仕方がありませんね。こちらから冀州に赴き伝えるとしましょう」
 と、蔡炎。
「韓馥殿以外の諸将にも、適切な官位官職が与えられます……現状に即し柔軟にとの陛下の御意を賜わり、僭越ながら私たちが国状について情報を収集し、上奏いたしまする」
「…………」
 場がまたざわめいた。
「つまり、あなたの胸三寸しだい……というわけね」
 今にも誰かが口火を切り、武器を取って脅しをかけそうな空気を制し、諸将の列を抜けて、曹操が蔡炎の正面に立った。
「そ、曹操殿! 無礼ですぞ!」
 蔡炎の隣の副使らしき人が声をうわずらせて掣肘しようとするが、
「黙れ……!」
 覇王の一言で押し黙った。
「官位官職の不満が戦の原因と使者殿は言ったが、重大な事を言い落としている。董卓の専横のことを」
「そうだ!」
 後方から同意する声がいくつもあがった。
「我らの要求は混乱を招いた元凶、董卓を政権中枢から除くこと。最早……それ無くして政道は正せない」
「そうだ!!」
 また喚声があがるが、曹操の表情は微妙だった。
 劉備や公孫賛、馬超……そして当然、賈駆の表情もだ。
 董卓は利用された、されてしまったとわかっているからだ。
(黒幕の真意はまだつかめないけれど……この使者の言う体制がその一端だとすれば……いたずらに混乱を長引かせるだけ。異民族の動きも活発な今、実力のない皇族が実権を握るのは、まさに内憂外患……)
 曹操は使者に迫りつつ脳内で思考をすすめた。
(悪いけど、こちらも董卓を利用させてもらう。董卓を傀儡とする政権を認めず敵対し続ければ、恐らく董卓はいずれ黒幕によって除かれるでしょうけど、それまでにこちらの地盤を固めれば――)

「董卓は、すでに処断されました」

 場が、凍りついた。
 誰も彼も、今の言葉を理解するのに、しばしの時間が必要だった。
 ただ蔡炎だけがそれを見て微笑していた。
(やられた……!!)
 いち早く事態を解した曹操は、拳を握りしめた。
(董卓を排するにしても董卓子飼いの連中が抵抗するから時間がかかるはずと思ったら、これか……! 意外と動きが速い……!)
「王允殿、それと呂布将軍が、董卓を誅し……現在、朝廷では益州牧劉璋殿の御父君、劉焉殿が朝政を補佐しております」
「劉焉殿が……」
 劉焉は皇族の一人、前の益州牧であり、様々な要職を歴任した人物である。
「病を得て益州牧の職を辞したとは聞いていたが……」
「…………これで、地方と中央の両方、皇族でかためられたということか」
「ある意味正常化した、と、言える気はするが……」
 周りがどこか現体制を容認する空気を醸し出しはじめた中、俺は、己の動揺に耐え、賈駆の心配をしていた。
 賈駆は、董卓が処断されたと聞いた瞬間から、一切動いていない。
 呼吸すら止まってしまったかのように、ぴたりと、動かなくなっていた。
 震えていたら、せめて、桃香にしたように手を握るぐらいはできたが……。
 今彼女に触れたら、その瞬間、崩れ落ちてしまうんじゃないかと思った。
 だから俺は、倒れそうになったら彼女を支えるため、傍に寄り添うぐらいしかできなかった。
「私たちの与り知らぬ所で大きく体制が変わったようね……やはり、長安は遠すぎる」
「はい。先程申しましたように、一日も早く洛陽へ帰還することを希望しております。そのためにも、曹操殿もご協力を」
「……そうね。あなた方が地方査察を終え、私たちの中央・地方官職が定まった後、返答しましょうか」
 視線が曹操と蔡炎の間でぶつかる。
 二人の気は、熱を発生させて空気を歪ませ、周囲の人をひるませ、後退させた。
「……ふ」
 不意に、両人の張り詰めた緊張が途切れた。
「ふふふ」
 二人は笑っていた。
「道中お疲れでしょう。数日は都――いえ、洛陽に逗留される予定?」
 一転、柔らかな声色で曹操は尋ねる。
「はい。ただ、この後、韓馥殿のいる冀州へ出立し、辞令をお伝えしてから、洛陽へ戻ろうかと」
 蔡炎もまた、険のある微笑みをあらためて答える。
「そう。それでは冀州からのご帰還の折には、精々、丁寧にお迎えいたしましょう。こたびのような急ごしらえの物々しい出迎えではなく、ね」
 そうして、会見は終了した。
 
 全てが終わり、使者たちがぞろぞろと列をなして、宮殿から退出をはじめた時――
「詠っ!!」
 賈駆の身体がぐらりと揺れ、俺は慌ててそれを抱き支えた。
 小さな身体が俺の両手に倒れ込んだ。
 目を閉じ、血の気の引いた顔。
 あたりから悲鳴に似た声があがる。
「荀攸様っ!?」
「荀攸さん!?」
 視線が集まる。
 そしてその視線の一つ、皇帝の勅使達からの視線の一つに――
 彼女の目が、あった。
「ゆ……え?」
 青ざめた顔、不安げな瞳、今ならわかる、ヴェールで顔を隠していた理由。
 董卓。
 死んだはずのその人。
 その顔が、ほんの一瞬、見えた。
 俺の、詠を呼ぶ声に反応し、思わずヴェールをずらしてこっちを見てしまったのだろう。
 すぐに、ぱっと顔を隠し、しかし、こちらの方を凝視していた。
「ご主人様! 荀攸さん、どうしたの……!?」
 桃香が心配げに荀攸の顔をのぞきみる。
「わからない……貧血かもしれないけど、ともかく医者を呼ぼう」
 精神的なことだから、身体に大事はないと思うが、念のため医者に診てもらうことにした。
「大丈夫だ。たいしたことないさ」
 周りに聞こえるようにはっきりと、言う。董卓……月にも届くように。
 視界の端っこで、心掛かりそうなためらいを見せながら、他の使者や従者とともに去っていく董卓の姿を確認した。
 賈駆を運ぶ担架を待つあいだ、俺は、詠を抱き支えつづけた。
 詠が目覚めたら、月のところへ連れて行こう。
 少々無理矢理でもいい。
 今俺にできる、最大限のことをやる。
 心痛が限界を超えて気を失ってしまった少女を見下ろして、俺は決意した。
 もし、賈駆や他の人に、俺の正体について疑問を抱かれたとしても、月と詠だけは、必ず再会させようと。


 詠は、30分もたたずに目を覚ました。
「なにか、ご心労があったようですな。まぁ、一両日、ゆっくり休ませるように……」
「そう。わかった。とりあえず、洛陽で休ませることにするわ」
 曹操は医者と会話を交わしたあと、賈駆の眠るベッドに寄ってきた。
「…………まったく、なにを背負ってるのかしらねこの子は?」
 詠に届かないレベルのつぶやきを漏らす。
「……荀に訊けば分かるんじゃないか?」
「ああ……そうか、桂花の姪、だったわね」
「心配をおかけして申し訳ありません……」
 横になったままの賈駆が、薄く目を開けて主に謝罪する。
「エン州と豫州を行ったり来たりしながら、内政までこなしていたんだから、謝ることはないわ」
「ああ。それは俺のせいでもあるな」
 賈駆と三羽烏部隊は、いつも俺を助けになってくれている。
「少しの間ここで休んで、戻ってきなさい。荀に文官を増員派遣させるから、短期間なら問題ないわ」
「はい……お言葉に甘えます」
 いつもなら、休む必要なんて無い、とはねつけそうな場面だが、やはり消耗しているようで、素直に頷いた。
「ん、それじゃあ、私は戻るわ。何かあれば伝えて」
 と、曹操は慌ただしく見舞いをすませ、部屋を出て行った。
 事態が急変して時間がない中で、なんとか様子を見に来たのだろう。
「……あなたは帰らないの?」
 目を閉じた詠が煩わしげに言う。
「あ、ああ」
 生返事をして、考える。
 部屋には二人だけが残った。
 部屋の外には見張りの兵と伝令使が待機している。
「……」
 普通に外には出られないな。
 弱っている詠に無理はさせたくないが……。
 一番の薬は、月だろうしな。
「というわけで、ちょっと失礼」
 俺は机にさらさらとメモを書き残し、詠のいるベッドにあがった。
「え?」
 布団を剥いで、詠の上体を起こす。
「な、なに……!?」
 困惑して俺を見る。
「よっと。これに手を通して」
 フード付きのローブを背中にかけて促す。
「どういうこと? ……暑いわよ」
 従順にローブを着たが文句を言う。
「ちょっとだけ外に出るよ。皇帝の使者の人たちを見送るんだ」
「……なによ、そんなの他の人に任せて、休ませてくれたって……」
 首と脚を手で支えて、抱きかかえる。
「わっ……!?」
 小さな体。小柄な体躯は驚くほど軽い。
「じゃ、外でるから」
「ちょ、ちょっと! なにしてるの!?」
 突然のお姫様抱っこに混乱して、詠は手足を動かし、身じろぎする。
 体に力が無いため落とすことはないが、念には念を入れて、手で両足をしっかりとホールドする。
「よっと」
 窓を開けて窓枠を越え、外へ。
「なんなのよ……」
 口を尖らせるが、もう四肢をばたつかせたりはしなかった。
「顔見られると止められそうだし、フード被ってくれる?」
「フード?」
「頭に被せる部分があるだろ?」
「ああ……これね」
 指でフードの先をつまみ、被る。
 俺は賈駆を連れ、こそこそと曹操の屋敷を出て、あらかじめ用意しておいた馬車に乗り洛陽の街に出る。
「ここまでして、何をさせたいの?」
 馬車の荷台にのって、少し調子が戻ったらしい賈駆が詰問する。
 やはり精神的ショックからくる一時的なものだったんだろう。俺は胸をなで下ろした。
「んー……訊かないでくれると助かるんだけど」
「はぁ……わっけわかんないわ」
 盛大にため息をつく。
「使者の見送りねぇ……あまり、あの連中と顔あわせたくないんだけど」
「そうか? たしかにあの蔡炎さんとかいう人、妙に迫力があって1対1ではキツそうだったけどな」
「ふん。曹孟徳相手にも鼻の下のばしてるあなたが言ってもね……。それに、そういう意味じゃない。別に、どんな風格の相手でもひるむことはないわ。でも……あの手の、自分たちは安全圏にいて、いろいろけしかけてくる輩は、好きになれない」
 と、瞼を伏せる。
「宦官の張譲もそんなところがあったわ。もし、長安にある今の朝廷が、あのたぐいの奴らばかりなら……また、同じ事の繰り返しになるでしょうね」
「曹操や俺たちがいる。思うとおりにはさせない」
 真正面から詠を見つめて、断言する。
 からかわれるかなと思ったが、詠は、
「…………そう」
 としか言わなかった。
 体は回復しても、心のダメージはそんな簡単に癒えないからか。
 でも、うまくいけば、このあと、劇的に回復するだろう。
「お、あそこかな。降りよう。肩貸そうか?」
「一人で歩ける」
 申し出をにべもなく拒絶し、率先して馬車を降りる。
「おや?」
 轍の先に、出立の準備を終えたらしい蔡炎達の姿があった。
「あなたちは――ええと」
 会見の時のかしこまった恰好と比べて身軽そうな旅装に着替えた蔡炎が、こちらを振り返って、首を傾げる。
 そして俺たちの顔を一見して、笑みを浮かべて不意の来客を迎えた。
 服装同様、格式張っていないその仕草に、少女らしさが垣間見えて、俺はなんとなく安心感を覚えた。
 敵じゃない、少なくとも、理解できないレベルの敵じゃない、と思えたからだろうか。
「劉備軍の北郷、一刀どの、でしたか? 失礼、そちらの方は?」
「曹操軍軍師、荀攸です」
 護衛の兵を刺激しないように、距離を取って名のる。
「ああ。曹操殿の……それで、どうかしましたか? なにか伝言でも?」
「いや。皆を代表して見送りに来たんだけど……」
「あらあら。劉備軍と曹操軍のお二人が、ですか」
 蔡炎は目を見開き、少々怪訝そうな表情を見せた後、またほほえむ。
(あ、ちょっと笑顔が嘘くさくなった。こっちの心中をはかりかねてるのかな)
 だが、蔡炎は俺たちを退けようとはせず、
「では、こちらの馬車で、しばらく一緒に行きましょうか」
 と、手招きする。
 それに従い、俺と賈駆が近付くと、蔡炎は詠の顔を見て、
「……あら? そちらの、荀攸殿は……もしかして、先程の会見の……?」
「え、ええ」
 見られていたことに気恥ずかしさを感じたのか、詠は頬を掻いて頷いた。
「そうでしたか。それでこちらにこられたということは、大事なかったのですね?」
「はい。場を乱し失礼致しました」
 賈駆が軽く頭を下げる。
「そんな、謝る必要など……どうか顔をあげて下さい。立ち話ではよろしくないでしょう。どうぞ馬車に」
 蔡炎は賈駆の背中に手を回し、幌つきの馬車の上へと導いた。
「…………なるほど……それで、か」
「?」
 蔡炎が何かつぶやいたが、俺にも、詠にも届かないような独り言だった。
「北郷殿もどうぞ。誰か、あの子を呼んで来て」
 影を感じる独言はすぐに終わり、蔡炎は俺を馬車へあげ、なにやら部下に指示を飛ばした。
 先に乗った賈駆の隣に座り、少し待つと、蔡炎が一人の従者と共に乗り込んできた。
「……!」
 心臓がどくっとはねる。
 その従者は、董卓、月だった。
 あの時と同じく覆いを被っているため、すぐに面相は割れないが、ここまで近付けば雰囲気だけですぐにわかる。
 だから。
「……、………………っ!?」
 顔を隠した少女の登場に、うさんくさげな視線を向けた賈駆も、数秒で、気づいた。
 途端に、詠は、驚愕と喜びと堪え涙で表情が定まらなくなった。
「……ゅ……ぇ……?」
 消え入りそうな潤んだ涙声。それはもちろん、詠一人ではない。
「詠ちゃん……っ!」
 俺は思わず、もらい泣きしそうになり、慌てて目をそらして、蔡炎の方を見た。
 蔡炎は、分かたれた二人の再会に水を差さぬよう、柔らかな声で、
「申し訳ありません、北郷殿。少々馬車の調子が悪いようで、4人のると危ないようです。私とあなたは、別の車に乗るとしましょう」
 そう言って、乗ったばかりの車から降りた。
 俺も、彼女に続いて降車する。
 途端に、背後で、抑えきれないものが爆発した音がした。
 背中で、詠と、月の、むせび泣く声を聞き、目頭を押さえる。
「北郷殿は、あの子達のことを知っているのですね」
 涙で熱くなった瞼を開けることができず、温かな暗闇の中で、蔡炎の問いに耳を傾ける。
「……ああ」
 ごまかしたりする気はおきなかった。
「あの2人の正体はともかく、再会できて良かった……」
「そうですね……」
 一呼吸、二呼吸……無言で、落涙をとどめ、飲み込む。
「わかっていると思いますが」
 ようやく目を開けて、まだちょっとぼんやりとした視界に、蔡炎の顔がうつる。
 彼女は唇に人差し指を当てて、
「あの子が董卓であることは、内緒ですっ」
「う、うん。じゃあ、荀攸が賈駆であるってことも内緒で」
「ええ。2人の秘密ですね」
 くすくすと彼女は笑い、俺はちょっと戸惑う。
「公に宣言したとおり、彼女は死んだことになったのです」
 もう一つの馬車に乗り込んで対座し、車が動きだしてから、彼女は説明をはじめた。
「以降は皇帝陛下の側仕えとして、表に出ずに勤めてもらうつもりです」
「……皇帝の側仕え」
 嫌な想像が働いて、俺は顔をしかめた。
 それを別の方向に解釈したのか、蔡炎は安心させるように補足する。
「彼女は皇帝陛下にも気に入られていますし、心配することはないですよ」
「いや……あの……皇帝陛下って、お、男だったりする……?」
「…………女性ですが?」
「そっか! それなら良かった!」
 心の底から安堵した。
 そんな俺の様子を見て、蔡炎は、
「…………天の御遣い殿は、女好きなのですね」
 軽蔑の白い目。
「え、えええ、そ、そんなことは、ないよ?」
 嘘だけど。女の子好きだけど。
「では董卓殿の事が好きなのですか?」
「う、うーん、そうだね、好きだよ。あ、董卓の方は俺のこと知らないんだけどね」
 残念ながらこの世界ではまだ接触がない。さっきのが初対面だ。
「そうですか。では、賈駆殿のことは?」
「え。そ、そりゃあ……」
 俺は口ごもった。
 前の三国志世界において、月と詠は俺のメイドだった。
 月は、俺のことをとてもまっすぐに好きでいてくれて、実際、そのことを本人の口から何度となく聞いた。
 そんな彼女のことが、俺も、好きだった。
 では、詠は?
 俺は詠との記憶をたどる。
 詠は月の大親友で、月が俺と親しくするのを苛々しながら妨害していた。あんたは月にふさわしくないとか、女たらしだとか変態だとか、俺のことを月から遠ざけたがっていた。
 それが俺への好意の裏返しだなんてことはわからなかったし、多分最初は本当に嫌われていたんだろうけれど。
 時を経るにつれ、月と俺の距離が近付くのと歩みを一つにして、詠と、俺もまた、結ばれたんだ。
「好きだよ……詠……賈駆のことも」
 本人がいるわけじゃ無い自分の告白に、なぜか鼓動が速くなる。
 そんな俺の告白を受けて、蔡炎は、
「………………やっぱり女好きじゃない」
 ぼそっ、と苦々しげに言葉を漏らした。
「あの……蔡炎さん? もしかして俺のことで、なにか、その、悪い噂とか聞いてる?」
 なんだか嫌われている気がしてならない。
 俺が天の御遣いと呼ばれていることも知っているみたいだし、噂に尾ひれがついたとんでもないデマとか聞いているのかも。
 考えてみれば、皇帝に仕える人からしてみれば、天の御遣いなど胡乱を通り越して害悪でしかないだろうし……。
 だが、蔡炎は、俺の予想を裏切り、ぱっと、花が咲くようなにこやかな顔に戻った。
「文姫」
「え?」
「2人の時は蔡炎ではなく、文姫とお呼び下さい」
「あ、う、うん……もしかして真名なの?」
 2人の時だけ、というのはかなり特別な時ということだ。
「いえ。ただの字(あざな)です」
「ああ……そうなんだ」
 まぁそりゃそうか。出会ったばっかりだもんな。
「私、とある事情でいろいろな名前を使っておりまして、その中でもこの名前が一番好きなのです」
「なるほど……お気に入りってこと?」
「はい。なかなか女らしい名前でしょう? こういう漢字で……」
 と、空中に字を描いてみせる。
「文……姫、か。たしかに良い名前だね」
 お世辞じゃなく、そう思った。そのまま真名でもおかしくない。
「ありがとうございます。北郷殿は……どう呼べばいいですか?」
「ああ、俺は真名が無いから、好きに呼んでくれればいいよ」
「そうですか。では……一刀さん、でいいですか?」
「うん」
 いきなり下の名前か、と思わないでもないが、北郷殿や、まして御遣い殿なんて呼ばれるよりよっぽどいい。
「それでは、折角ですので、あなたに訊いてもいいですか? 一刀さん」
「は、はい」
 なんだか親しげな響きを帯びた呼び方にどぎまぎして、居住まいを正す。
「一刀さんはたしか豫州の潁川郡、許昌を治めているそうですね」
「うん。曹操の薦めで、洛陽の近場からおさえていこうってことになって」
「善政を敷いているそうで、こちらにも良い評判が届いていますよ」
「へー、長安にまで?」
「ええ。領民にも慕われているそうで」
「あはは。親しみやすいと思われてるみたいでね」
「一刀さんは、これからも許昌に腰を据えるつもりですか」
「ん~、そうだなぁ……」
 首をひねって考える。
「結構、位置的にいいところだと思うし、今のところはそのつもりだよ」
「そうですか……」
 ふむ、と文姫は頷いた。
 そして少しだけ沈黙が降りた。
 カタカタガタガタと車輪の音が大きく響き、ふと、馬車から外を見ると、黄河の雄大な姿が広がっていた。
「もし……我々が皇帝陛下と共に遷都することになったら……受け入れてくださいますか?」
 文姫が、陰を帯びた目で、問うた。
「もちろん。元々、洛陽は都なんだから、劉備だって曹操だって歓迎すると――」
 言葉の途中で、文姫は手を軽くあげて遮る。
「いいえ。許昌に、です」
「へ?」
 意表を突く話に、素っ頓狂な声が漏れでる。
「え、と、許昌に遷都?」
「はい。聞いた以上に復興は順調ですが、すぐに洛陽へは戻れないでしょう。かといって長安にいたままでは、中原の秩序はとても保てない。代替として……許昌はとても適している」
「…………そうかもね」
 三国志知識を思い返してみれば、史実においても、許昌は都になったことがある。その時許昌を支配していたのは曹操だが、曹操もまた、洛陽のかわりとして許昌を選び、皇帝を保護したのだ。
「でも、曹操のいる陳留とか……袁紹のいる冀州じゃ駄目なのか?」
 探るように、俺は問いかける。
 もし、袁紹を利用して何かしようとしているのならば、冀州の方が好都合だろう。
 だからこの質問にどう答えるかで、彼女が、どういう意図を持つ人物なのか、あるいはどんな意志を持つ者のために動いているのか、わかるかも、と思った。
 が――
「私たちが、そっちに行ってしまっても……あなたは良いのですか?」
 逆に、聞き返されてしまった。じっと、上目遣いで。
 青みがかった黒の瞳が、俺の目を見つめる。眼の奥、心まで見通そうとするかのような、眼光。
 驚いたわけでも、恐いわけでもないのに、後ずさりしたくなる圧力を感じて、俺は、唾を飲み込んだ。
 彼女の目の光、そして……影に、俺は、震えた。
 その光は、この三国志世界に生きる英雄としての光か。
 そしてその影は、この乱世に生きるが故の拭い去れない不安と不穏の色か。
「ご返事は、私たちが冀州から帰った後で」
「なんでそんなに急ぐんだ?」
 俺が眉をしかめると、彼女は、途端に視線を外した。
「私たちも、一枚岩ではないのです。陛下の御稜威……ご威光だけで全てまとめられる時代ではありませんから……内部に董卓殿を慕っていた残党、外に馬騰殿や黄巾党、異民族。長安が本拠では少々……恐いんです」
「…………」
 本当のことなのか、嘘がまじっているのか、俺にはわからなかった。
 ただ……どちらにしても、月は目の届く範囲にいて欲しい、そう思った。
「皆に、相談してみるよ」
 なんにせよ、俺一人で結論をだしていい問題じゃない。
「無茶を言っているのはわかっていますが……可能な限り、早く、事を運ばなければならないのです」
 祈るように、文姫は手を組む。
「混沌が人間を喰らい尽くす前に……」
 その言葉は大げさにもきこえるけれど、文姫の表情は一点の曇りもなく真摯で、俺は何も言うことができなかった。
「諦めてしまえるなら、簡単なんですけどね」
 文姫は苦笑して、外を見た。
「ああ、到着しましたね」
 窓の外には悠々とした海のごとき大河が流れ、その流れに接続する港がにぎわいをみせていた。
「ここからは水路になります。帰りの馬車は用意していますので、そちらにお乗り換え下さい。お見送り感謝します」
 そう言って彼女は頭を下げる。
 俺は、文姫にまだ言う事、訊きたいことがある気がして、振り返った。
 文姫は、わざわざ車から降りて、もう一度、軽く会釈した。
「またお会いしましょう…………北郷殿」
「ああ……また」
 心のざわめきを振り切り、再会の約束だけ残して、俺たちは別れた。

「あ……あの、北郷様」
 文姫と別れ、帰りの馬車を探していると、ひとりの少女が俺を見つけて、とことこ、と走って近付いてきた。
 月だった。
 月は俺のそばまで来ると、ヴェールをとり、俺に顔をさらした。
「ああ。ええっと、君は……」
 正体はわかっているけれど、董卓、と呼ぶわけにもいかず、月、と呼ぶのはためらわれて、口ごもった。
「私、北郷様に、一言だけお礼を言いたくて……」
「うん……なにかな」
 月は、走って乱れた息を整えて、改めて、深々と頭を下げた。
「詠ちゃんと……えと、荀攸ちゃんと、もう一度会わせてくれて、ありがとうございました」
「…………っ」
 俺は、何度目かわからない不意にこみあがってくるものを抑えた。
 顔を上げた少女の目には、何度も泣いた跡があって、どれだけのものを抱えて今日まで過ごしてきたのかを思うと、胸が苦しくなった。
 けれど、今、月は、笑顔だった。
 記憶にある通りの、笑顔だった。
 それで俺は、救われた。
 あの悪夢は、まだ夢でしかないと信じられるから。
「無事で、本当に良かった……」
「…………?」
 月は、俺が何故ほっとしているのかわかりかねて、首をかしげた。
「これからまた、2人一緒に暮らせると良いね」
「あ……はいっ」
 月は微笑み、ぺこっと頭を下げた。
「またこちらに戻ってきたら、挨拶にいきますね。それでは」
 時間がないのか、慌ただしく港の方へと駆け去っていった。
「……」
 俺はその背中を、小さくなって見えなくなるまで見送った。
 一つの仕事をやり終えた感触が、心に満ちていた。
「ふぅ……そろそろ俺も行かないと。抜け出したこと、誰かに気づかれるかも」
 文姫が用意してくれた帰りの馬車は、すぐ近くに停留していた。
「おっと」
 馬車の座席には、詠が先に来ていた。
 詠も月と同じく眦を赤くしていて、その顔を見せたくないのか、さっと顔をそらせた。
「……出発して」
 御者に指示してから、詠は俺の隣に座りなおした。
「………………あんたさ」
 発車後、詠は前を向いたまま口を開いた。
「私と、あの子の事…………知ってるのね?」
 口ぶりからして、ほとんど確信をもった質問が投げかけられる。
「…………うん」
 俺は、もはや取り繕おうとは思わなかった。
「やっぱりか……」
 詠は驚かず、ただ、目を閉じた。
「あらかじめいっておくけど、2人のことを誰かに言ったりはしてないし、しようとも思ってないから」
「…………」
「信頼してくれって言ったって、信頼できるような話じゃないだろうけど……」
「――あの時」
「え?」
「あの時、董卓にも生きていて欲しいと思っている、って言ったのは、私が董卓と近しいということを知っていたから言った……ってことよね」
「ああ……あの時は、ごめん。董卓が生きているのかどうか俺にはわからなかったから、その、正直に言うと、探りを入れてたんだ。君なら知ってるんじゃないかと思って」
「反董卓連合との戦いの直前、黄巾の乱まで、北郷一刀という名前はまったく聞かなかったし顔も私は知らなかった。けれど、あなたは遠く涼州にいる私たちの顔も素性も知っていた、と。あなた…………何者なの?」
「俺は…………」
 言葉に詰まる。
 俺は、何者なのか。
 天の御遣いなんて言葉はふさわしくない。
 といって、未来から来た人間、というのも今となっては半分正しく半分違う。
 なぜなら、俺は、この世界で生きた記憶があるからだ。
 だから、自分でも一言では言い表せない。
「言えないわけね」
 賈駆は小さくため息をつく。
「いや……説明が難しいというか、説明しても信じてもらえるかわからないというか」
「どういうこと?」
「少なくとも、噂されているような天の御遣いとかいうやつじゃない」
「それはそうでしょうね」
 詠は深く頷いた。
「…………なんかそう簡単に納得されるのも複雑だけど。まぁいいや。でも、もしかしたらこっちの方が信じられないんじゃないかな。その……俺は、未来から来た人間なんだ」
 前の三国志世界の記憶については脇に置いて、正体を明かす。ここまでは仲間である劉備や関羽に言ってあることだから、そこまで秘匿しておくことでもない。警戒はされるかも知れないが……。
 正体を打ち明けられた詠は、眉根を寄せて、口を開いた。
「未来から……?」
「うん。今から千年以上後の世界から」
 詠は眉間の皺を深くした。
 彼女の反応を見て俺がためらいをみせると、
「…………続けて」
 詠は、続きを促した。
「正確に言うと、1800年ぐらい未来の、ここから東の海を越えた島国から、飛ばされてきたんだ」
「飛ばされた? 自分の意志じゃないってこと?」
「うん。俺自身なぜこの世界に来たのかはわからない」
「1800年後の未来……それじゃあ、私たちのことはおろか、これから先どうなるかも、知っているというわけね?」
「……いや。俺が知っている歴史とは、今の時点でかなり違ってる。だから、これからどうなるかは、君達と同じく、予測することしかできない」
「むぅ~……」
 詠は額をおさえ、うなる。
「嘘みたいな話だけど、嘘には聞こえないし、そう考えれば納得いくこともある……ううん……未来からねぇ……」
 論理としての理解と、感情としての納得が追いつかないのか、うーんうーん、と頭を掻く。
「うむむ……それで、あんたの目的は何なの? 意図せず過去に飛ばされたのはわかった。で、今は劉備とくっついて何がしたいの?」
「最初は、元居た世界へ戻るまで1人じゃ生きていけないから、劉備の世話になってたんだけど……今は、そうだな、劉備と協力して、早く乱世を終わらせること……かな? できるだけ円満な形でさ」
「…………甘いことを。そういえば前にも同じようなことを言ってたわね。曹操も孫策も、董卓も守りたい、助けたいって」
「ああ。それは本心だよ」
「……あんたに、できるのかしら?」
 それは、俺の力や意志、心を測る言葉だった。
 ここで安易な言葉を吐けば、賈駆は俺から離れていくだろう。
「できないからって諦めるわけにはいかない」
 
「――無理矢理にでも、皆を守りたいんだ――」
 
 一刀両断で乱麻を断つように。
 悪夢を突破するために。

「…………」
 すぐに反応を返さず、詠は、目を閉じた。
 そして、軽く肯くようにうつむき、
「…………ま、今回のことも……強引だったしね」
 ちょっとだけ笑った。
「あー……うん。でも言葉で説明しても信じなかっただろ」
「そーね。董卓は死んだ、と聞いた直後だもの。董卓に会いにいくなんて言われても、頭がおかしくなったとしか思えないでしょうね」
 詠は立ち上がり、俺の向かいの席に腰を下ろす。
「私は、あんたに言ったとおり、守りたい人は1人しかいないわ。その1人を守るために、軍勢を集め、練兵し、勢力圏を築き、中央に進出したわけだけど……今となっては、名前を捨てて、なりふり構わず生きることが第一ね。だから、やっぱり、あんたのように誰も彼もに手を差し出すなんてできない」
 この前の宴の席で言ったことと同じ事を、詠は繰り返す。
「でも」
 と、詠は俺を見上げた。
「あなたが月を守ってくれるなら、協力することぐらいは、してあげ……ないこともないかも」
 かくっ、と俺は肩を落とした
「どっちだよっ!」
「こっちには余力がないのよっ!」
 むきーっ、と詠は膨れた。
「軍どころか兵もないのよっ! 曹操軍の兵を使わせてもらうことはできても……勝手なことをして不利益を被らせるのは忍びないわ……いざとなったらやるけど」
「割と容赦のない関係だな……」
 曹操と賈駆らしくはあるが。
「だから……その…………協力と言っても……、保証できるのは私一人の協力だけよ」
「それで十分だよ」
 十分すぎるぐらいに。
「ありがとう。ええっと、荀攸?」
「…………そうね、あらためて、自己紹介しましょうか。知ってるだろうけど」
 眼鏡をくいっと直し、
「賈駆、字を文和。真名は詠よ」
 手を差し出される。
 俺はその手を握り、
「北郷一刀。姓が北郷で、名前は一刀だ。真名はないから、そうだな、名前で呼んでくれ」
「わかったわ……一刀。これからよろしく。月のこと、あなたの力でも守って欲しい」
「ああ。全力で、やってみせるよ」
 破顔して、握手を交わす。
「…………あ、それから、詠の事も守りたいと思ってるから」
「ば……ばっかじゃないの……っ!」
 ぼっ、と顔を赤くして、詠は眉をつり上げた。
 やっぱり、詠は元気に怒ってるのが詠らしいな、と俺は思った。


「――で、蔡炎が許昌に遷る話を持ちかけてきたんだけど」
「許昌に? わけわかんないわね。あの女自身に意図があるのか、糸つきで後ろに誰かいるのか……ん?」
 帰路、これからのことを詠と相談していたとき、飛蹄の響きが近付いてきているのに気づき、会話が止まった。
「なにか来た?」
 御者台のほうの窓へ近付き、尋ねる。
「は、数騎、こちらに接近しているようですが……旗印は……公孫です」
「公孫賛軍か。こっちは旗あげてたっけ?」
「はい。北郷軍の十文字旗をかかげています」
「じゃあ、大丈夫かな」
 馬蹄の音が俺たちが乗る馬車のすぐ脇まで飛んできた。
 それにあわせて馬車が停止したので、一体誰かと窓からのぞき見る。
「北郷軍の要人とお見受けしますが……」
「あれ? 君は確か公孫賛の……ええと従妹の」
「っ! これは、北郷様!」
 騎馬隊の先頭にいた将が、俺の声に反応して慌てて下馬した。
「あ、やっぱり。水関の戦いの時の副官の、たしか、公孫越さん」
「名を覚えていただき光栄です」
 窓越しではまどろっこしいので、俺も馬車を降りる。
「なんだか重そうな装備だけど、いまから戦いにでも?」
 公孫越は、身長の半分はある大楯を片手に持ち、片手剣を2本腰に差す重武装だった。甲冑こそ公孫賛軍の軽騎兵にあわせているが、一戦を控えているような堅牢な装備だ。
「いえ。ただの護衛用です。水関以来、護衛の仕事にめざめまして」
「ああ、あの時俺も助けてもらったもんな」
 水関の戦いで、矢で狙われた俺を身を挺してかばったのが、彼女だった。
「…………でも、君の守るべき上司って公孫賛ぐらいしか居ないんじゃ……」
 趙雲は守る必要がないし。
「それが悩みどころです」
 公孫越は肩を落とす。本気で悩んでいるようだった。
「ええと、それで、俺たちを呼び止めて何か用かな?」
「いえ、ここ最近、白波賊という賊が跋扈しているようなので、警護を、と」
「なるほどね」
 俺は軽く笑い、
「わかった。それじゃ、お願いするよ」
 公孫越率いる騎馬隊が前後左右をかためるなか、馬車が出発する。
「幽州の公孫越?」
 馬車の中から外をみていた詠が訊く。
「うん。公孫賛の従妹」
「幽州守備を任されていると聞いたけど、洛陽まで来るなんて何かあったのかしら」
「そういえばそうだな。軍を率いてはいないから、なんだろ、重要な相談でもあるのかな」
「……ああ、そうか。多分、幽州牧になった劉虞の事かな。劉虞が幽州に着いて一悶着あったんでしょ」
「え? でも、ついさっき幽州牧になるって話がでたばっかりじゃ……」
「劉虞たち皇族には先に話が通っていたってこと。私たちは今朝廷と微妙な関係なんだから、ぎりぎりまで伝えないっていうのはありえる。というか、十中八九そうするんじゃない?」
「そっか……ってことは他の州も……」
「そうね。エン州の劉岱、荊州の劉表……」
「あ。じゃあ、孫策が顔を見せなかったのもそのせいかな?」
「そうかも。エン州は曹操が統治しているから、奇襲じみた事は通じないでしょうけど」
 果たして、詠の言ったとおりの事態が発覚したらしく、帰ってきたときには大騒ぎになっていた。
 
 
「鮑信殿から急報! 劉岱が州牧を名のり、エン州の東部を占拠――!」
「知ってるわ。鮑信は済北に進出を。攻める必要はない。劉岱の統治に協力してやりなさい」

「公孫越殿から報告、劉虞殿が幽州牧として異民族との停戦を指示したとのこと――!」
「っ、来たか……! 公孫越はこっちに着いたんだな? よし、ここは任せる! 幽州へ戻るぞ!」


「ご主人様、なんだか大変なことになったよ……!」
 俺が帰ってくると、桃香はわたわたしていた。
「やっぱり? 曹操と白蓮のところも慌ただしかったから、そうだと思ったんだ」
 詠と公孫越の二人を送っていったとき、異常は見て取れた。
「エン州と幽州の状況ですが、エン州の方は曹操さんがまだ手をつけていない地方を取られた形になったようです。幽州の方は、白蓮さんの勢力域に割り込まれ、現地が混乱しはじめているとのこと」
 孔明が詳細を述べる。
「伝令ですっ、公孫賛殿が幽州へ急行するとのこと! 公孫越将軍がかわりに河内に残る由、連絡がありました!」
「白蓮ちゃんが……私たちはどうしようか?」
 伝令が行き交う洛陽の劉備軍本拠には、主要なメンバーが勢揃いしていた。
「西側、董卓軍の圧力が消えたなら、私が豫州にはいりましょうか?」
 と、関羽。
「確かに、董卓軍がいなくなり残るは賊程度。今の内に豫州の東側を制圧に向かうべきかと」
 鳳統が関羽に同調する。
「南の袁術への警戒はどうする?」
 すっかり劉備軍になじんだ厳顔が意見する。
「袁術さんが荊州牧になった劉表への対応に力を注ぐなら、警戒は必要ありませんが……」
「孫策がそちらにまわされる可能性が――」
 その時、ちょうど細作が飛んできて、重要な情報なのか声を上げて伝えず、いくつかの文書を朱里に手渡した。
 朱里は文書にさっと目を通した。
「…………孫策さんが兵を集めているようです」
「兵を?」
「もう劉表と戦うつもりなのか?」
「いくら孫策でもそんな性急な……」
「劉表さんは反董卓連合には消極的でしたし、同じ荊州の領主として、もともと仲は微妙だったとの話が」
「でも、孫権たちが長沙にいる状況で戦いなんて……? んん? ちょっと待てよ。劉表はどこを拠点にしてるんだ?」
「孫策さんのいる新野の南に位置する襄陽城、そこを本拠として荊州中部を領していましす」
 鳳統が地図を広げ場所を指し示す。
「あ」
 それで、俺と愛紗、そして桃香が同時に気づいた。
 朱里と雛里は最初からわかっているようだった。
 しかし、鈴々はわかっていないようで、
「ん~? どういうことなのだ?」
「孫権さんのいる長沙へは、陸路でも水路でも劉表さんの領地を通らなければかなり遠回りしなければなりません。つまり、もし劉表さんが敵対的な態度に出てきた場合、孫策さんと孫権さんは分断されてしまいます」
「じゃあ、孫策さんは孫権さんと合流するために……」
 桃香は眉を曇らせる。
 朱里はこくり、と頷き、
「劉表さんの軍と正面から戦うかどうかはともかく、軍を合流させなければ危険ですからね」
「……うーん」
 俺は頭を掻く。
「なんとか回避することはできないのかな? まだ劉表さんや他の皇族の人と戦わなきゃならないとは限らないんだし……」
 桃香も難色に近い言辞を漏らす。
「孫策さんの立場に立ってみれば、南の孫権さんがどうしているかわからない中で、交渉に時間をかけたくない、というところではないでしょうか」
 と、朱里。
「それに……なにか切迫している様子が」
「どういうこと?
「袁術さんに兵を貸してくれるよう頼み込んでいるようです。今洛陽にいる袁術さんのところに孫策さんからの使者が来たとの情報を密偵がつかんでいます」
「袁術にだと? あの孫策が? 借りをつくってまで事を急ぐのか?」
 関羽が首を傾げる。
「ふむ…………直接事情を聞いてきた方が良いかな」
 俺がそう言うと、
「そうですね」
 朱里が賛同し、
「では、私と……」
「俺も行こうか」
「ご主人様も? それじゃ、あとひとり護衛に――」
 桃香が言い終わる前に、
「私が」
 愛紗がかぶせ気味に手を上げる。
 それに遅れて鈴々や葉雄、桔梗も手を上げる。
「………………じゃあ、桔梗で」
「なぜですか!?」
 俺の指名に、早い者勝ちのつもりでいたのか、愛紗がむくれる。
「関羽は呉と相性が悪い気がするんだよな……」
 正史での関羽は、最後、呉の軍に討ち取られている。
「むむむ……」
 愛紗は納得いっていないようだったが、それ以上文句を言うつもりはないようだった。
「では、今日中に出立しましょう。使者を先に派遣しますが、孫策さん側は急いでいるようなので」
「朱里ちゃんとご主人様が行くなら、東への進軍はまだ止めといた方が良いかな?」
「そうですね。袁術さんが攻めてくることは無いかも知れませんが、様子見しておいたほうがいいでしょう」
「じゃあ、鈴々ちゃん、雛里ちゃんは変わらず、函谷関で西の守り。桔梗さんがいないから、葉雄さんを洛陽に。愛紗ちゃんは許昌に入って豫州守備……ってところでいい?」
 桃香の配置指示に、誰も異議を唱えず評議はまとまった。
「これから情勢がどう動くかはわからないけど、洛陽や許昌の街の人たちに不安を抱かせないように、みんないつもと変わらず、笑顔でいこうねっ」
 桃香は自身の言葉通り、笑顔でしめくくった。
 皆頷き、評議で硬くなった顔をゆるめた。
「笑顔笑顔……」
 愛紗だけは苦労しているようだった。
 俺と朱里、桔梗、そして途中までの同じ方向の愛紗の四人は、轡を並べて、洛陽を出発した。
「あ、そうだ」
 行路の途中で、俺は口を開いた。
「今日来た皇帝の使者の蔡炎さんがさ……」
 俺は許昌遷都の話をした。
「返事は難しいだろうけど、桃香に話だけしておいてくれる?」
「それは……なぜそんな話に?」
 俺に頼まれた愛紗が、怪訝そうな顔で尋ねる。
「や、たまたま会ってね。あっちも全て順調ってわけじゃなさそうだ」
「獅子身中の虫を呼び込むことになりそうですが」
 愛紗は反対のようだった。
「……真意が見えませんね。こちらからは長安の様子がわかりませんので、相手の要求通りにするのは危険な気がします」
 孔明も、反対のようだ。
「まぁ、敵か味方かわからぬ者も受け入れられる度量が桃香様にもお館様にもあるとはいえ……少なからず毒を含んでいそうですな」
 桔梗も否定的なコメントだ。
「ご主人様はどう考えているのですか?」
「俺?」
 愛紗の質問に、自問してみる。
 俺もまた安易にOKできる提案ではないと思った。
 だが、蔡炎のあの言葉が気にかかった。
――私たちが、そっちに行ってしまっても……あなたは良いのですか?――
 あれは、俺たちの陣営ではなく、袁紹達の側についてもいいのか? という意味なのだろうか。
 月とようやく再会したのに、敵味方に別れ別れ。
 それは、合理的な判断と拮抗するぐらい、本能的に嫌だった。
(あの子は、月との交換に許昌を差し出せ……といっているのかな? だとすればその条件を呑むのは、俺一人の利益にはなっても、劉備軍全体にとってはマイナス、ひょっとしたら曹操や他の友好的な勢力にとっても。かといって単純に拒絶すると袁紹の所に皇帝も月もいっちゃうわけだからそれも不味い……)
「交渉次第……かな。許昌は俺たちの統治下にあるんだから、こっちが主導権を握れる要素は十分。あちらが許昌を選んだのには理由があるはず。その足元を見ることができれば……」
 3人は俺の肯定的意見を聞き、一様に思案顔で黙り込み、軍師である朱里が最初に口を開いた。
「……皇帝陛下を保護すれば、私たちのこれからの行動に、いくらか正統性が生まれるでしょう。戦わずして、小勢力を恭順させることも可能かもしれません」
 続いて桔梗、
「だが、大きな力を持つ群雄達は、反発したり、面従腹背で通すでしょうな。最悪、董卓と同じ轍をふむことになりましょう」
 そして愛紗、
「私の意見は変わりません。……ただ、桃香様は、皇帝陛下を捨て置くような事はしないと思います」
「あ~……そうかもね」
「であるとすれば、私たちはとにかくできることをしなければなりませんね」
 朱里が馬上で揺れる帽子を押さえるのをあきらめ、手に持ち、握りしめる。
「内外をかため、長安の皇帝を擁する勢力を自由にさせないこと。曹操さんや他の人達にもこの件を伝え、多勢力横断的に話を進めること……」
「難局だな」
「でも、チャンス……好機でもあるよ」
「そうですね。桃香様やご主人様、そして皇帝陛下という求心力の高い人物が一所に集まれば、事態は善かれ悪しかれ動くでしょう。そして、それを好機に変えることができるかは、私たちの器量次第です」
「座して待つより、気分はよいですな」
 豪天砲を肩に担ぎ、桔梗が呵々と笑う。
 そこからしばらく、大まかな方針を相談、確認し、やがて豫州方面と荊州方面の分かれ道に着いた。
「ご主人様、早く帰ってきて下さいね。豫州のことはご主人様が一番知っているのですから」
 真剣な表情で愛紗は言う。
「ああ。できる限り早く帰るよ……おっと」
 愛紗の近くに寄り、彼女の頬を軽くつまむ。
「笑顔笑顔っ」
「っ、ふむむ……」
 顔を赤く染め、愛紗は笑みを無理矢理作る。
 困り顔で笑みは引きつっていたが、俺が軽く頭を撫でると、どうにか和らいだ。
「それじゃ、豫州の方は頼むよっ」
 ぽん、と肩を叩き、愛紗と別れる。
 愛紗は豫州許昌へ。
 俺、孔明、厳顔の3人は一路、荊州北部、新野へと向かう。
 袁術の領土を通過し、孫策軍の勢力域へ入ると、色が一変した。
 翻る赤の旗、旗、旗。
「まるで燎原ですな」
「なんで小さな村にまで旗をたててるんだろ?」
「荊州は草賊が多いですから、威圧するためではないでしょうか。荊州に威名が轟いている孫策軍の旗は、そこにあるだけで効果がありそうですし」
「ああ。なるほど……賊からしてみれば、孫策の領地で暴れるなんて自殺行為だろうしね」
「とはいえ、荊州は東西南北に広大な土地が広がっていて、山と大河で複雑に入り組んでいますので、賊を全て討伐するのは不可能に近いです。その上、戦乱で多くの人がこの州に逃げ込んでいて、余計混乱がおこっているようです」
「うむ。儂も、一時期身を寄せていたが、各郡各都市かなり混交としていてバラバラであったな」
「たとえ孫策さんでも、荊州全てを治めるのは至難の業でしょうね。もし、うまく一つにまとめる事ができれば、この州は他の州の倍近くの人や物が得られると思うのですが」
「そういえば、朱里は荊州にいたんだっけ?」
「はい。生まれは別ですが、戦乱を避けて移住して、この地で学問を修めていました」
「そっか。中央が混乱すればするほど、こういうところに優秀な人物が流れるわけか」
 中央をおさえれば有利だと思っていたけれど、そんな安易な戦略では駄目なんだな、と俺は思った。
「そうだよな……曹操も生きている間に呉や蜀を併呑できなかったんだから……やりかた考えないと」
「ご主人様?」
「ああ、いや……なんでもない。陽が暮れてきたね。孫策に会えるのは明日になるかな」
 かなり急いではいたが、一日では到着できなかった。
 空は呉の旗と同じ色に染まり、もうすぐ夜が訪れることを示していた。
 俺たちは新野の城の一歩手前で、宿を取った。
(今日一日、いろいろあったなぁ……)
 寝床で、俺は今日という一日を思い返した。
(月との再会も衝撃的だったけど……一番は、文姫って子との出会いかもな……俺の記憶にはない、この世界の人間……いや、記憶にないだけで、本当はいたのかもな)
 名前を知らない人物。
(そうか、公孫越や劉表も記憶にない人物だな)
 顔も知らない人物。
(もしかして……あの悪夢に出てきた子は……)
 それが目の前に現れるということは、やはり意味があることで。
 後から思い返せば――
(記憶にない人たちの中にいるのかな……?)

 ――俺と、名前も顔も知らない英雄達との戦いは、この日を境に、本格的に始まることになるのだった。



 同じ日の夜――冀州にて

「…………」
 文姫は1人、用意された部屋の窓辺にたたずんでいた。
 部屋は一人用としては破格の広さで、さすがは名門、袁紹があてがった部屋だった。
 しかし、広すぎる。
 孤独には慣れていたが、今日は少し寂しかった。
「感傷的になっても……仕方がないのに」
 つぶやきは夜の冷たい風に溶けて消えた。
「……」
 見上げても夜空に月はなく、ただ星だけが瞬いていた。
 趣を知る人なら、星々にも月に勝るとも劣らぬ名状しがたい魅力を感じるのだろうが、文姫には、残念ながらその素質は乏しく……。
 すぐに星から目を外し、室内へ体ごと振り向いた。
「明日あたり、劉表と孫策がぶつかるかな……」
 センチメンタルは終わり、乾いた計算が頭の中に満ちる。
「……勝つにせよ負けるにせよ、荊州に火種はばらまかれる……」
 すっ、と衣擦れの音をたてて移動し、寝台に腰を下ろす。
 体を倒し、横になる。
 眠気は来ない。
 けれど、無理矢理にでも眠らなければならない。
 明日が早く来て欲しい。
 つらくても、悲しくても、明日が早く来て欲しい。
 遠い未来がどんなにひどい悲劇であっても、何もできずに過ごす今が一番苦しい。
「そろそろ……、皇帝陛下にも、お出まし願わなければね……」
 ようやく来た眠りの直前に、未来の予定を浮かべて、文姫は今日一日の活動を終えた。
 最後に愛しい人の面影を夢に見て――



 後書き

 というわけで、名も無きオリキャラ登場の第七話でした。
 今回登場したのは蔡炎。史実にも登場する人物です。本当は、炎の左に王と書いてエンと読ませる名前なのですが、字が出ないので炎の方を使っています。
 字は文姫です。小説内でも言及していますが、真名でもおかしくない字なので、気に入っています。
 これからオリジナルキャラを何人か追加しますが、真名はつけない予定です。
 なので、文姫はわりと恵まれているような気がします……史実では凄まじい人生を歩んでいますが。
 それでは、引き続き第八話もよろしくお願いします。




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